これは水です

これは水です

言葉の流れに身を任せながら

共に超える境界線~真剣乱舞祭2022の考察と感想~

 

 

久しぶりの投稿です。なんと前回から約1年ぶり。

約1年ぶりに何の話かといいますと、絶賛開催中の真剣乱舞祭2022の話です。

パライソと江水はどうしたんだよって自分でもなっているんですが、もうすぐ大千穐楽を迎えるこの稀代の祭がどういうものなのか、何のためにあるのか、それをいま書き留めておこうと思った次第です。

ほとんど殴り書きなので、乱舞祭が終わった後に見たら恥ずかしくなりそうですが、とりあえず書きます。

言わずもがな盛大なネタバレをしているので、読んでからの苦情は海に流してください。

なお、ライブ本編の感想は今回ほぼありません。乱舞祭の物語に関する考察と感想ばかりです。

 

 

 

 

 

はじめに

そもそも何故勢い余って乱舞祭の話をするかというと、今回の物語がめちゃくちゃ心覚と地続きだったからです。

出だしから最後までたっぷり心覚。年始から春にかけて江水で頭いっぱいになっていたところにぶち込まれた爆弾といっても過言ではありません。

ご覧の通り(?)この辺鄙なブログは心覚にかなり心を奪われていて、何回書くんだよというレベルで脳内に生まれた言葉を投稿しています。

冒頭であの仮面の少女が出てきた時は息が止まるかと思いました。

そして今回のアジテーターは水心子。これまでとこれからを繋ぐ役目を担った刀剣男士。

ここまで祭に心覚をぶち込まれるとは誰が予想しただろうか。

 

初日から配信を見て、現地にも足を運んで、ここまで様々な角度から乱舞祭を見てきました。

長かった祭もあと少しで終わってしまうから、その前にこの祭が何のためにあるのか、それを自分の中で明確にしておきたいと思い、筆をとりました。

 

東京心覚を土台に始まった祭が、東京で終わりを迎える。

その意味を噛みしめながら。

 

 

 

 

何を送るための「神送り」なのか

今回の祭で一番衝撃的だったのはこのオープニングでした。

いや毎度祭のオープニングは衝撃的なんですけど…。

「神送り」という単語が何度も出てくるので、曲名を仮に神送りとします。

 

仮面の少女が水面を行く船に乗り、それを眺めながら水心子だけが紡ぐ歌。

そこから全員が歌う神送りへの変化。

ここの内容を少し自分なりに整理して、今回の神送りには3つの意味があると感じました。

 

 

 

①神からの見送り

まず文字通り、「神」からの見「送り」としての神送りです。

松明を手に小舟を囲む刀剣男士たち。彼らはこう歌います。

 

「風が運ぶは花びら、落ち葉 命宿る種

 風が運ぶは噂、便り あの人の歌声

 この河で この海で 迷わぬように

 この灯り みちしるべ

 船よ行け

 今 もやいを解こう

 神送り」

 

耳で聞いた歌詞なので細かい表記は間違っているかもしれませんが、大体こういう言葉だったはず…。

「ひゅるり、ひゅるり」という風の音に乗せて、花びら・落ち葉・種というミュにおける人の生命を表すものが運ばれてきます。

その人が生きた証として、誰かの噂や手紙、いつか口ずさんだ歌声も共に。

いずれにしても、散った花びらや落ち葉、さらには種が運ばれてきているということは、生命が終わったことを表現していると思われます。

 

東京心覚で歌われた『はなのうた』は、人を花に喩えた生命の歌です。

人は「謳歌(うたわ)ずにはいられない 終わりなきはなのうた」を紡ぐ存在であり、刀剣男士から見れば「戦場に散る無数の種」であるもの。

そして刀剣男士はその「終わりなきはなのうた」を聞くために、大河の流れを守るもの。

風に乗って届くその歌を聞きながら、彼らはみちしるべとして松明を掲げながら小舟を導いているんですね…。

 

風に吹かれ、大海原に続く川の途中で彷徨う死者の魂を正しく送り届けるための「神送り」。

ここに登場する刀剣男士(回替わり男士省く)には以下のように「人の死」との繋がりがあるのではないかと考えています。

 

 

それぞれ任務先で縁のある人間の死を傍で見送っている刀たちなんですよね……。

しかも、「船よ 行け」で小舟を先導するのは唯一元主をその手で斬った肥前くんなんですよ……。

一番身近な人間を、放棄された歴史とはいえ手にかけた肥前くんが、彷徨える魂が乗る船を導く役目を担っているの、あまりにも……あまりにも……。

さらにいうと、その殿を務めるのは小竜くん。

元主の死を三度(史実+放棄された歴史+正しく修正された歴史)も見送り、任務上で主と定めた人間を斬り捨てた彼が、殿に居るんですよ……。

ここ、個人的に勝手なしんどさ激強ポイントです……。

 

また、ここで見送られるのは歴史に名を遺した人物ばかりではありません。

冒頭で仮面の少女が踊っていたこと。この面子に浦島くんが居ること。

名もなき民草の魂も、人知れず咲いて散った花の種も、一緒に見送ってくれているのだと思います。

 

 

 

②神を送るための祭

2つ目は文字どおりの「神送り」です。

そもそも神送りには2つの意味が存在していて、その1つが神を送るための祭とされています。

 

陰暦9月晦日 (みそか) 、または10月1日に、全国の神々が出雲大社へ旅立つこと。また、これを送る行事。この日は強い風が吹くといわれる。 冬》「しぐれずに空行く風や―/子規」⇔神迎え

神送り(かみおくり)の意味 - goo国語辞書

 

出雲大社に神様が集合するのが神無月というのは有名な話ですが、それを見送る祭が神送りなんですね。

刀剣男士も付喪神。つまり神様と呼べる存在ですが、今回のお祭りでは送る側に居ます。

では、今回送られる神は誰なのか。

あの大きな船に乗って現れた、平将門公です。

 

将門公が出てきた途端、神送りは転調して荒々しい曲へと変化します。

あの瞬間、船を送り出していた面々は立ち止まり、荒波から小舟を守るように身を固めます。後から駆け付けた男士たちも戸惑うように辺りを見回しているのです。

この場面、私は最初「向かっていた先にある海が荒れ始めたから驚いているのだろう」と考えていたのですが、Twitterで「将門公は招かれざる存在(本来呼んではいない神)だったのではないか?」という考察を読み、この結論に達しました。

大きな雷鳴と共に現れた将門公に向かって放たれるのは、「何故?」という疑問です。

 

「強き風 何故に吹き荒ぶ?

 荒ぶる風 何故猛り狂う?

 沈まれ風よ 沈まれ海よ!」

 

神送りの日は強い風が吹くとされています。そして将門公が現れた時も激しい風音がしています。

おそらく、此処に現れた将門公は文字通り「荒魂」なのだと思います。

 

荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。

荒魂・和魂 - Wikipedia

 

将門公って人じゃないの?神様なの?という疑問があるかもしれませんが、神田明神築土神社に祀られているので、死後神様となっています。

将門公は心覚でも、霊刀として力を持つはずの大典太とソハヤですら歯が立たなかったほどの霊力を持つ圧倒的な存在として描かれていました。

今回の神送りに顕現したのは、その面を含めた荒魂としての将門公なのでは?という見方です。

荒魂将門公は荒ぶる心を叫ぶだけの存在。

それを和魂として鎮めるため、あるいはあるべき姿に戻すための「神送り」。

同じ神として、また送るべき存在として、「共に吹き荒れろ」と刀剣男士たちは荒魂将門公を今回の乱舞祭に誘ったのではないでしょうか。

 

 

 

③疫神送

さて、神送りにはもう1つ意味があります。

疫神を追い払う行事のことです。

 

疫神を村界から外へ送り禳ふ行事。疫神禳(えきじんばら〔ひ脱カ〕、疫神流(えきじんながし)ともいふ。

例年六月十三日を期とし、愛知県三河国南設楽郡作手村新城市作手地区〕で行はれる。一名祇園送。当日は小麦を紙に包んだものをの先に挟んで門に立て、疫神払ひの禁厭とする。

また疫神除却の方法として、之〔これ〕を川に流すものに疫神禳がある。それは岐阜県吉城郡高原郷飛騨市神岡地区、高山市上宝地区〕の習俗で、流行病が猖獗を極める時、を以て船の形を造り、神職を招じて行疫の悪神禳ひを行つた後、疫神を其の藁船に移して川に流し、一同茅輪をくぐり、一切後を見ずに帰るのである。

これに似て稍々〔やや〕形のかはつたものに、兵庫県飾磨郡家島村姫路市家島〕の疫神流がある。ここでは伝染病の時に際して、小形の船を作り、村内を舁ぎ廻り、各病家で積込む藁人形をそれに乗せて、「送れ送れ、疫病神送れ」と賑やかに囃しつつ海に流し遣るのである。

疫神送 - Wikipedia

 

疫神とは文字通り疫病神。人に災いや病気を齎す悪神です。

もうね、コロナですよね……。

昔なら疫病と呼ばれるべきもの。それが世界中に蔓延って、様々な祭も中止になって、人々の楽しみや遊びも奪われて。

それを悪しきものとして送る「神送り」が今回の乱舞祭の大きなテーマの一つになっているんだと思います。

ついつい神様のほうにばかり目が行ってしまって、最初はここまで考えが及ばなかったのですが、先輩審神者からの貴重な意見と、心覚自体がコロナ禍で生まれた物語であることをすり合わせて達した結論です。

神送りの最後に「船よ行け 荒波乗りこなせ 行きつく先に 晴れ渡る空が待つだろう」という歌詞があるのですが、この晴れ渡る空というのはコロナ渦が明けた世の中にも捉えることができるなあと。

まさに疫病退散。ハレハレ祭りが令和の世でも見られて嬉しいです。

 

 

 

まとめ:3つの神送り

これらの神送りの意味を合わせると、この乱舞祭は歴史上の人物だけじゃなく、過去に居た人だけじゃなく、今を生きる私たちに向けた祭でもあることがわかります。

だから水心子は言うのです。この祭は「楽しい方がいい」と。

 

彼岸も此岸も、あちら側もこちら側も、夢も現も、貴方も私も。

 遊ぼう、今を共に!」

 

貴方も私も、なんて言葉が出るのは、心覚でこちら側に語り掛けてくれた水心子だからこそなんだろうなと。

この言葉を初めて聞いたとき、その優しさに視界が滲みました。

みんなずっと苦しくても我慢して、傷ついて、時には泣いて、それでも明るい未来が来るって信じて、心から楽しみにしていたお祭りです。

それを「共に」と呼び掛けてくれるんですよ、水心子は……しかも「楽しい方がいい」って、つまり見た人が笑顔になれることじゃん……。

「歴史を守る」という任務の難しさに対して「笑顔になれることを増やせばいい」と言った水心子が、それをこの乱舞祭で実行してるんです……。

笑顔になりながら泣いてしまうこんなの。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

それぞれの立ち位置

乱舞祭に限らず、ミュは刀剣男士の立ち位置なんかにも深い意味があったりするのですが、今回特に気になったところを軽く掘り下げていきます。

 

 

 

水先案内人としての鶴丸国永

鶴丸国永、立ち位置が意味深すぎる男士トップ3に入りますね。

ちなみに後の二振りは三日月宗近と明石国行なんですけど。

 

今回の鶴丸は唯一船に乗った男士です。

夢うつつを漂う水心子を呼び起こした時、鶴丸はあの仮面の少女が乗っていた小舟から現れます。

あの小舟は河を渡り、海へ出るためのもの。将門公や榎本武揚が乗っていた大船も然り。いわば三途の川の渡し船です。

もうこの世には居ないものにしか乗れない船とも言えます。

その船に唯一乗って出てきたのが鶴丸国永なんですよ……。

 

鶴は仙界に住み人界にやってきた霊鳥として崇められていたので、彼岸と此岸を行き来できる存在として今回船にも乗れたのではないかなと思っています。

おそらくですが、鶴丸国永は彷徨える魂の行先も、その導き方も知っているんじゃないでしょうか。

でも敢えて行先や導き方を告げることはせず、夢うつつの狭間を揺蕩う水心子にその役目を任せている。それが鶴丸国永の役目だから。

水心子が自分で答えを見つけられるようにさりげなく導きながら、最後の最後で彼岸に辿り着く船を先導するんですよね……人界から仙界へ帰る鶴のように……。

この立ち位置、2018年の乱舞祭での三日月宗近とそっくりなので、やっぱり三日月宗近=夜と鶴丸国永=朝で対比されてるのかなあと思いました。

そうなると今回は最後に夜が明けて朝が来ていたのも、水先案内人が鶴丸だったからということになるんですが……鳥は夜に飛ばないので……。

 

 

 

祭における将門公

もう一つ気になったのが祭に出る将門公です。

今回は珍しく刀剣男士以外の存在である将門公もメインとして祭に参加していました。

ただ、すべての祭に参加していたわけではありません。

将門公が出ていたのは、ねぶた祭りとエイサー、そして最後のよさこいソーランが全ての祭と混ざり合った混沌の中だけです。

 

2018年の東西祭り対決では東軍に位置する祭に出ていたので、坂東武者代表としての参加なのかな?と思っていたのですが、祭の起源を見てみると、どうも霊送りの意が込められた祭に参加しているようです。

ねぶた祭りはその起源に精霊流しがあり、エイサーは祖先を送るための念仏踊りそのものです。どちらも霊送りの意を持ちます。

また、ねぶた祭りはねぶたの題材に有名な物語が用いられることも多いため、将門公という数多の伝説を持つ存在は惹かれるものがあったのではないでしょうか。

阿波踊りも一応盆踊りを起源とする説がありますが、蜂須賀がメインを張っているあたり徳島城落成を祝うものとして扱われていそうです。

最後はその全てが混ざり合った混沌の中で、どちらともつかず手を伸ばしながら将門公は存在していました。

亡くなった人の魂を送るための祭に居る将門公は、どちらかというと和魂に近づいているように思えます(当社比)

 

 

 

幕間における水心子正秀という狭間

賑やかだった祭が終わり、静寂が訪れた後、再び現れた仮面の少女と将門公の狭間に居るのが水心子です。

この時、仮面の少女は中央ステージ、将門公はメインステージに現れ、水心子はその二人の間を何度も行き来します。

対になって踊る二人は荒々しい剣舞と嫋やかな舞の対比。そして、歴史に名を遺した者と遺さなかった者です。

本来ならば交わることのない二つの存在を、狭間を行く水心子が引き合わせるのがこの幕間。

水心子は冒頭でも幕間でも、そして最後でも、彼にしか聞こえない声を聴くように耳元へ手をあてていました。

そんな水心子につられるようにして中央ステージまで走ってきた将門公は楽しそうに笑いながら仮面の少女と水心子と共に舞を披露します。

名を遺した者と名もなき民草を繋ぐのは、その何方とも関わることができる水心子にしかできない役割なのだと思います。

共に踊るということは、共に楽しむということ。

これまでとこれからを繋ぐ役割を担う彼が、彼方側と此方側を繋ぎ、貴方と私を繋いでいるのがわかります。

 

余談ですが、構造的にセンターステージはメインステージからみて北の方角になります。

共に踊った後、センターステージ(北)の向こうへ歩いて行く仮面の少女と、メインステージ(南)に戻る将門公。

北は仏教における臨終の方角です。また、五行に置き換えると水の方角にもなります。

そう考えるとあの少女が後半に出てこなかったのは、幕間で北(死者の魂が行くべき場所)へ向かったからなのかもしれません。

あと、それにつられそうになった水心子を呼び止めるのは清麿なんですよ……清麿は彼方側に引き寄せられやすい水心子を此方側に繋ぎ止める舫なのかもしれません。

 

 

 

北への案内人

言わずもがな榎本武揚のことです。

2018年の榎本武揚は狭間を彷徨う死者を北へ導いていましたが、今回もまた船を北へ走らせました。

しかも今回、榎本武揚は刀剣男士と初めて会話をしています。

刀剣男士のことを「狭間を彷徨えるもの」と呼んでいましたが、そんな彷徨えるものを北へ導くのが榎本武揚の役割です。

 

ここで会話する刀剣男士が、最初の乱舞祭で彼岸側としての役目を果たした三条の二振りというのも面白いなと思いました。

小狐丸は伝説を元に顕現した刀であり、表裏一体の意味を知るもの、つまり境界線がないことを知っているもの。

今剣も人々に語られた伝説だけで成り立つ、虚実入り混じった存在。

刀剣男士としては狭間に在りつつも彼岸に近い存在扱いなのかもしれません。

 

で、榎本武揚の何が気になったかというと、今回誰にも名前を呼ばれていないんですね。

前回(2018年)は土方さんが名前を呼んでいたと思うんですが、今回その名を知るものとは出逢っていないんですよ、榎本武揚

名前なんか呼ばれなくても榎本武揚だろ?というのは最もなのですが、こう……名を失ってもなお、彼岸で彷徨える魂を北(行くべき場所)へ導く役割を担ったシステムとして存在しているのでは……???という勝手な憶測をしています。

それでも彼が榎本武揚という己を見失わないのは、あの新しいTo The Northの中に届いた審神者たち(榎本武揚を覚えている、知っている人たち)の声のおかげだったりしたらエモいな!!!という個人の意見です。

 

 

 

 

 

共に超えていくための祭

今回の祭の大きなテーマとして「共に楽しむ」というものがあると感じています。

これまでは彼岸側と此岸側が繋がっていることを確認してきましたが、今回はその境界線を超えて「共に」歌い、踊り、叫び、祀っていました。

様々な別れを、想いを、辛さを超えて。

 

祭が終わり、あるべき姿へと戻った将門公は水心子に己の見え方を問いかけました。

それに対して水心子は、怨霊でもあり、神でもあり、人でもあると答えています。

どれか1つではなく、すべてである、と。

これもまた、境界線を超えた表裏一体の答え。勝負がつかないこの本丸の真理です。

あの瞬間、楽しそうに笑った将門公は荒魂から和魂へと変化したように感じました。

 

心覚で水心子はある世界を垣間見て、大河の流れ着く先を知り、「私が守ろうとしている歴史は…未来は、守るべき価値のあるものなのだろうか?」と審神者に問いかけたことがあります。

その水心子が、今回を祭を経てこう誓います。

 

「どんな時代であろうと、どんな場所であろうと、どんな歴史であろうと、私は前を向く。これまでと、これからのために」

 

一度は迷い立ち止まりかけた水心子が、境界線を超えて共に楽しむ祭を経験して、この答えに辿り着くの、ちょっとエモすぎて言葉になりません。

しかもそれに対して清麿が「僕も誓うよ」って言うんですよ。心覚では彷徨う水心子を陰から見守る役目に徹していた清麿が。

 

「共に、前を向く」

 

この言葉の重み。

夢うつつを揺蕩っていた水心子は己の役目を再確認して、清麿はそんな水心子を後ろから眺めるのではなく隣に立つことを誓う。

新々刀は孤独ではなく、背中合わせでもなく、向かい合わせでもなく、隣あって共に前を向くのです……。

 

 

 

 

おわりに

さっとまとめようと思ってまた長々と書いてしまいました。しかも殴り書き。

めちゃくちゃ付け焼き刃でアイキャッチ画像も作っています。愛知公演の帰りに撮った写真です。

歌合からミュにはまった審神者なので初めてのリアルタイム乱舞祭なのですが、毎公演本当に楽しくてどうしようもないです。

今回語った物語も、語らなかったライブパートもぜんぶ楽しい。

ありがとう水心子。笑顔になれることが乱舞祭のおかげてこんなに増えたよ。

 

毎度思うんですけど、やっぱり最後の問わず語りが反則技すぎるんですよね……毎度泣きながら見てます。

最初に小舟を送るのは心覚で三日月宗近から役目を言い渡された面々+鶴丸という構図がもう良すぎる。

これまでとこれからを繋ぐ新々刀、人と人ならざるものを繋ぐ江、そして仙界と人界を行き来する霊鳥たる鶴……しかもAメロの歌いだしは音曲祭で海にそれぞれの信念を誓った虎徹三兄弟という……。

 

この問わず語り、歌っている刀剣男士それぞれが思い浮かべている風景や人物がその表情や仕草から読み取れるところが本当に素晴らしいです。

皆なにかをいとおしむように、慈しむように、名残惜しむように見送ってくれる。

次に生まれてくるときは歌合の『あなめでたや』を歌って欲しいのですが、この世を去るときはこの『問わず語り』に見送られたいとしみじみ感じています。

初めから終わりまでずっとサポートしてくれるミュ本丸、福利厚生の塊。

 

個人的に問わず語り1番のサビ終わりにセンターステージの向こう側を見つめて嬉しそうな顔を浮かべる水心子が好きです。

彷徨える魂が行くべき場所へ辿り着いたことを心から喜ぶようなその笑顔がまぶしい。

あとメインステージの上段で小竜くんが昇ってくるのをちゃんと待ち構えている江水組とか、隣り合って同じ方向を見つめる土方組とか、もう目が足りないんですけど気づくと涙腺が緩むポイントばかりで……。

 

あと少しでこの祭が終わってしまう寂しさと、こんなに素晴らしい祭を見せてくれるカンパニーへの感謝が入り混じった状態でいまこれを書いています。

無事に最終地東京で逢いましょう。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。