心に留めておけぬ二番だし~東京心覚の考察と感想②~
来た!見た!書いた!
東京心覚、アーカイブ配信摂取後の二番だしです。
二番だしにしては味が濃いです。特濃です。
いつもながら自分なりに色々と作り上げているので、これが正解というわけではありません。
へ~こんな見方もあるんだな~、という感じで楽しんでいただければ幸いです。
今回記事に記載してる心覚の歌詞は聞いたものをそのまま文字起こししてるだけなので、あくまでも参考程度にご覧ください。
※前回の記事(初日だけ見た考察と感想)はこちら
はじめに~心に刻むということ~
アーカイブ配信のいいところは好きなところで一時停止して調べたりメモしたりできるところです。
おかげさまでアーカイブ配信1週目は一時停止しすぎて1部見るのに1週間くらいかかりました。
同じ作品のアーカイブ配信2回買ったの初めてです。配信期間長くしてくれてありがとうDMM…ありがとうミュージカル刀剣乱舞…。
前回の考察と感想は一瞬のうちに駆け抜けていった感情たちをかき集めて形にしたものでした。
対する今回はじっくり見ながらひとつひとつ確かめていったものの集まりなので、たぶん味が濃いです。
どうまとめようか迷ったのですが、とりあえず作中の時系列に沿って話を進めていきたいと思います。
東京心覚は見れば見るほど新しい発見があって、それを調べて知れば知るほどいろんな繋がりが見えたりして、とても見応え・考え応えのある作品だと改めて感じました。
言葉で語られない部分が多い作品ほど、見る側は様々な憶測を巡らせることができます。
そしてその憶測を言葉にしてみると、謎を暴く快感と謎が消えていく寂寞に包まれます。
今回もどこまで語るべきか、すべてを言葉にしてしまっていいものかと少し悩みました。
心にガツンときた気づきや感動というのは、事細かに言葉にすると安っぽくなってしまうから。
物事の感じ方は人それぞれで、見えた景色や感じた色もきっと見た人によって違います。
この作品が私の心に遺した感覚も、完全に共有することは難しいし、そもそも共有するようなものではありません。
だからこの感動は、本当は語らずに心に秘めておくことで美しさを保てるのかもしれません。
でも、心で感じたことはどんどん上書きされていって、いつか細かなことを忘れてしまうものです。
これは私の心覚です。
いつか忘れてしまう前に、覚えておきたい美しさを独り言のように書き綴ります。
少々長くなりますが、もしお時間と興味があればお付き合いください。
プロローグ
会場BGMから流れるように開幕するあの演出ヒュッッ…ってなりました。
まずはプロローグで聞こえてくる音と、そこに現れるものに着目していきます。
通りゃんせと双騎の繋がり
優雅なクラシックからいきなりノイズが入って「かつて江戸だった場所」…つまり東京に移動するわけですが、ここで喧騒と共に聞こえてくるのが横断歩道の信号機から流れる『通りゃんせ』です。
通りゃんせは江戸時代に生まれた童歌で、発祥の地が3つほどあります。諸説あるがの!状態です。
そして、発祥の地の1つに、小田原市国府津の菅原神社があります。
この菅原神社には「曽我の隠れ石」というものが存在します。
この曽我の隠れ石、なんと曾我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つために隠れた石と言い伝えられているのです。
結局その時は工藤祐経の警護が固くて、曽我兄弟は涙を呑んで見逃したそうなのですが…まさかここで双騎に繋がるとは思わなくて驚きました。
そもそも心覚はクラシック音楽の使い方や将門公の機能としての演出が双騎と繋がっている感じがあったのですが、まさかこんなところでも???
偶然なのか意図的なのかわかりませんが、何となく調べて椅子からひっくり返りそうになりました。
そして、横断歩道の信号機から流れる通りゃんせのメロディは減少傾向にあります。
信号機から流れる通りゃんせは1975年以降に『故郷の空』と共にメロディ式使われ始め、それと同時に鳥の声を使った擬音式も使われるようになりました。
しかし、2003年からは擬音式のみが使われるようになり、メロディ式も擬音式に置き換えられつつあるのです。*1
10年後、20年後には全て擬音式になっているかもしれません。
そう考えると、通りゃんせの音が鳴る信号機は廃れていく最中にあるものといえます。
廃れていく=忘れ去られていくもの…でも誰かに覚えて貰っているうちはこれもまた存在していることになるのでは?という力技解釈をしています。
ピアノソナタと水面の月
オープニングで現代の東京になる瞬間、会場内に流れている曲と、仮面の少女が初めて出てくる場面でかかる曲はどちらもベートーヴェンのピアノソナタです。
1つ目はピアノソナタ8番『悲愴』第二楽章。
もう1つはピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 『幻想曲風ソナタ』…通称『月光ソナタ』。
調べてみるとベートーヴェンの3大ピアノソナタのうち2曲が使われているんです。
そして『月光ソナタ』については以下のような情報があります。
『月光ソナタ』という愛称はドイツの音楽評論家、詩人であるルートヴィヒ・レルシュタープのコメントに由来する。ベートーヴェンの死後5年が経過した1832年、レルシュタープはこの曲の第1楽章がもたらす効果を指して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現した。以後10年経たぬうちに『月光ソナタ』という名称がドイツ語や英語による出版物において使用されるようになり、19世紀終盤に至るとこの名称が世界的に知られるようになる。一方、作曲者の弟子であったカール・ツェルニーもレルシュタープの言及に先駆けて「夜景、遥か彼方から魂の悲しげな声が聞こえる」と述べている。
つまり『月光ソナタ』は水面に映る月に関係がある曲ということです。
そして劇中で『月光ソナタ』がかかるのは水心子正秀が独白している場面であることが多いのです。
『悲愴』は『月光ソナタ』に比べるとかかる回数は少ないのですが、一応繰り返しかかる曲としてメインテーマの一部にしていいと思っています。
『月光ソナタ』は名の由来にあわせて三日月をイメージさせるのですが、同じ月光でもドビュッシーの方は使われていないので、水面がキーワードなのかな?と。
3大ピアノソナタの『熱情』だけが使われていないのも気になるポイントです。いつの日か使われるときが来るのでしょうか。
また、この曲がかかる時は高確率で大きな月が背景に浮かび上がります。
ここで映っている月は珍しく三日月ではないんですが、これ、もしかして「三日月の見えない部分」なのでは?
つはもので髭切が「見えない部分も月だったよ」と言っていましたが、その「見えなくても月である部分」の象徴があの月だったのかもしれません。
空に浮かぶ月と水面に映る月が「表と裏」だというのは歌合で小狐丸が教えてくれたことですが、実際今作で大きく映る半分の月が実際の月の裏側なのかというとそういうわけでもなく、月面地図と重ね合わせてみると表側なんですよ。
物理的な表裏ではなく、虚像と実像による表裏というのが面白いところです。
舞台上から見える月面には「晴れの海」と「雨の海」が映っていました。
晴れと雨、これもまた表裏一体というか、循環しているというか。
一応「氷の海」も映っているのですが、氷もまたその循環に組み込まれる要素と捉えることもできます。
実は今回浮かび上がる月には「静かの海」が映っていません。
しかし、「晴れの海」は下の方で「静かの海」と繋がっているので、見えないところでも繋がりがあるのは確かです。
だから何だよという話なんですが…「見えないところでも繋がりがある」というのは個人的なエモポイントです。
盗まれた時間は誰のもの?
オープニングで時間遡行軍が現れた際、水心子はこう言っています。
「盗まれた、時間……いや、意識か…!」
この「盗まれた」というのが何を指しているのか、何回見ても???という感じだったのですが、こう…ふわっと理解できたような気分になっているので、そのふわふわスフレパンケーキ状態解釈をまず綴りたいと思います。
「盗まれた」というのは最初「時間遡行軍に盗まれた」の意味かと思っていました。
でもどうやらそういうことではなく、むしろ時間遡行軍は「盗まれた時間・意識」側のものである可能性が高いというのが私の解釈です。
彼らが現れたのは現代の東京、つまりいま我々が生きているこの不安定な世の中です。
この現代は去年あたりから感染症によって色々な「当たり前」が崩れました。
この崩れた「当たり前」の中には、その時生まれる筈だった想いや時間がありました。
わかりやすく刀ミュ関連でいうと、パライソ・大演練の中止。そして双騎・幕末の一部公演の中止。
これらはそこで生まれるはずだった感動や、それを生み出す時間を奪い去ってしまいました。
もちろん中止はその時に必要な措置で、感染症対策としては正しい方法だったのですが、本来生まれる予定だったものが行き場をなくしたのは事実です。
また、公演が決行されても情勢絡みで見に行くことを諦めなければならなかった人の時間や想いもまたこの不安定さに奪われたもののひとつといえます。
あの時間遡行軍は、そんな「奪われたもの=あの時代に本来生まれる予定だった時間・意識」を、奪われないものとして確立させるために現れたのでは…?
「盗まれた時間・意識」というのは生まれていれば人々の記憶や記録に残るものでしたが、不安定な情勢によって生まれることができなかったために誰の記憶にも残らない…つまり、存在を忘れ去られてしまいます。
歴史に名を遺すこともできず、価値のないものとして忘れ去られていくだけの時間や意識。
それらの歴史を改変するために送り込まれたのが、あの時間遡行軍だったとしたら。
本当は見たかったもの、本当は行きたかった場所。去年から今年にかけてそんなものや場所が沢山増えました。
それを叶えるために現れたのが時間遡行軍なら、悪だと断定はできません。
今でもまだ情勢は不安定で、いつ何が中止になるかわからない恐怖は消えないわけですから。
善と悪は簡単に分かつことができない。もしこのふわふわ解釈が少しでもかすっていたら、なんだかこう…勝敗がつかない刀ミュらしいなあと思います。
でもこの時間遡行軍は東京に張り巡らされた結界によって阻まれています。
この結界が現れたあとに、水心子は「どこで間違えたのか…」と意味深な台詞を紡ぎます。
なにが間違いだったのか?
恐らく、結界が時間遡行軍を阻んだことを指しているのでしょう。
結界があることで危機が免れたのは事実です。
しかし、結界が阻むことで刀剣男士の出番はなくなります。
つまり、時間遡行軍が結界に阻まれる世界では、刀剣男士は必要とされない…もしくは存在していない。
本丸に続く未来が消えた、放棄された世界のひとつとなってしまう。
そしてあの時点では、その放棄された世界の未来しか水心子には見えなかったのではないでしょうか。
水心子が間違いに気づいたと同時に、舞台上には降り積もる砂が現れます。
そしてその周りを仮面の少女が踊る場面。ここで流れるのが『月光ソナタ』です。
少女は最初、水心子に気づいていません。水心子は最初から見えているようで、戸惑ったように「君は…」と口にしていました。
ここで初めて少女が水心子に気づいて、慌てて逃げていきます。
本来であれば誰にも認識されないものだったからでしょう。
実際、歴史上の人物はもちろん、他の刀剣男士にすら彼女は見えていません。
彼女に問いかけ、語り掛けたのは水心子だけでした。
あの零れ落ちる砂は前回の記事で「受け止めて貰えなかった独り言」だろうと推測していたのですが、時間遡行軍のことを考えると「生まれることができなかった想い」でもあるのかなと考えています。
生まれることができず、誰にも受け止めて貰えなかった想いと、本来見えないはずの少女。
これらを水心子だけが感じ取ることができたのは、放棄された世界に長く居た経験があり、刀剣を復古させるために尽力した刀工の想いを強く受け継いでいるからなのだろうか…と考えています。
序盤~刀達の関係性~
ここでは序盤で気になったところと各刀派の顕現シーンにまつわるあれこれをお話していきます。
新々刀と平将門
オープニング後にまず出てくるのが平将門です。
此処は仮面の少女を追いかけようとした水心子を「水心子、戦だよ!」って清磨が呼びに来た後なので、新々刀が居るのは何ら不思議ではないのですが、新々刀は将門公を認識していませんでした。
出陣先に関する情報、特に警護対象とか処理対象になる歴史上の人物の情報は出陣前に知らされるはずです。今までのように。
なのに新々刀は「あれは一体誰なんだ」的な反応だったので、あの出陣先ではそもそも将門公を守ったり殺したりする任務を請け負っていなかったと考えられます。
目的は他にあって、その途中で戦が起きて、時間遡行軍が現れた。
だから将門公のことを認識していなかったのではないでしょうか。
そこで天の声といわんばかりに「平将門」という名を告げるのは三日月宗近。
あそこで姿は見えませんでしたが、恐らく新々刀と三日月宗近は一緒に出陣していたのだと思います。
そして三日月はあの時代で一振りだけ将門公に接触していた。
将門公は既に三日月宗近という刀剣男士の存在を知り、彼から色々と語り聞かされていたために去り際に新々刀のことを見つめていたのでは…。
余談ですが三日月から「平将門」というキーワードを聞かされた水心子が見るフィルム映像の中に、一瞬だけ十二単をまとった女性が映るんです。
あのアカシックレコード的なフィルム映像、コマ送り(一時停止)しながら見てると次にメインとなる人物が大きく映し出される傾向があったのですが、十二単の女性だけはこの最初の場面にしか出てきていないように見えました。
あれ、多分桔梗の前なんだろうなあ…と。
ある意味、最初の時点で「惚れた女のため」という将門公の答えは見えていたのです。
新々刀の歌~水清ければ~
この新々刀の歌好きすぎて何回も見返してたんですが早く曲名を教えてください。好きです。
最初の感想ではふわっとしたことしか語れなかったのですが、アーカイブ配信を摂取した後ならもう少し言語化できる筈なので語らせてください。
まずこの曲を歌う源清麿があまりにも…あまりにも優しい…本当に…。
曲に入る前に水心子の状態について豊前江と桑名江に説明しているシーンがあるのですが、そこですでに優しいんですよ清磨は…。
水心子は多くを語りません。それ故に誤解を生みやすい性格ともいえます。
そんな水心子のフォローアップに親友の清磨が出てくる、この関係性があまりにも優しい。
今までなら誤解された部分はそのままだったり、それが原因でぶつかり合ったりしていましたが、今回はトラブルが起きる前に清磨がサポートしているのです。
そこからあの歌に入るの優しさの塊じゃないですか???
歌詞の中でも清磨は水心子に対してずっと語り掛けています。
「いくら迷子になろうと僕が探し出すよ
大丈夫だよ、落ち着いて ほら、深呼吸」
後半はゲームの台詞ですけど、前半の歌詞と合体すると優しさレベルがめちゃくちゃ上がります…。
しかも「大丈夫だよ」のところで何かを抱きしめる振り付けがあって、そこがまた優しい…不安や迷いを包み込むような歌声と仕草…。
ここ、好きすぎて何度も見返したし、好き…って思った次の日には清磨のメモスタンド買ってました*2…つまり沼です。
「水清ければ月宿る そうだろう?」
前回の記事で言及したように、月というキーワードを使っているのは三日月への繋がりを示す意味もありますが、よく聞くと「心に穢れがなければ神仏の恵みがある、そうだろう?」と清磨は水心子に語り掛けてるんですよね…!
心に穢れがないというのは恐らく水心子の純粋さ、真摯さを指しているのだと思います。
この清磨の語り掛けに対して、後から出てきた水心子はその心意気通りの真っ直ぐな歌声で自らの役目…存在意義を高らかに奏でます。
「刀の誇り その意味追い続け たとえひとりでも行くだけ」
「忘れてはならぬ
狎れてはならぬ
廃れてはならぬ
諦めてはならぬ」
水心子正秀は古刀復古を唱えた刀工の想いを宿し、太平の世に慣らされきった刀剣を本来あるべき姿に戻すべく生み出された刀です。
自らの役目を自覚し、それを全うしようとしている姿は真摯で穢れがない。だから清磨は彼に「水清ければ月宿る」と語り掛けています。
でも水心子が歌うのは、
「水清ければ魚棲まず それでいい」
という言葉。
清廉すぎて人に親しまれず孤立してしまうことを、「それでいい」と言うんですよ水心子は。
張り詰めた弓のような緊張感と使命感…水心子ー!!こっちを見てくれ水心子ー!!
そしてここから二振りの掛け合いパートが始まります。
清磨「何を見つけたのかな 綻び?」
水心子「いつ生まれたかもわからぬ 綻び」
ここ、最初会話しているように聞こえるんですけどそうじゃないんだぜ!というのが唐突に突き付けられるので審神者は倒れます。
清磨「きみはそこにいる」
水心子「今こそ真価 問われる時」
清磨「隣でいつも見てるよ」
水心子「今こそ意味を問う時」
すれ違ってる!!すれ違ってるよ水心子!!
水心子に語り掛けている清磨に対して、自分に言い聞かせている水心子という構図。
舞台上でも清磨は言葉通りずっと水心子の方を見ていますが、水心子が清磨を振り返ることはありません。
ラストのサビでも、水清ければ…に対する互いの考えを歌っていますが、水心子の考えに対して清磨が「心もあれば魚も棲むかもしれないよ」って歌うのがもう…「水心子の穢れのない心があれば魚も棲むかもしれないよ」って…優しさ…優しさの塊…。
優しさにも様々な種類があるというのはつはものの三日月の言葉ですが、これは親友としての優しさなんだろうな…としみじみ感じながら見ていました。好きすぎる。
本当にこう…水心子の張り詰めた感じと、見守る清磨の優しい表情…最高です…。
この曲の歌詞のもう一つのキーワードとして「綻び」があります。
きつく結んだものはいつか解けて、綻びとなる。これは劇中に出てくる結界や境界線に関わるキーワードです。
ここでいう綻びは欠陥といった意味で、長く続く歴史の中で生まれた歪みや放棄された世界などを指しているのでしょう。
本来そういった綻びを感知した審神者が刀剣男士に出陣を命じます。
しかし今回はその綻びが水心子にしか感知できていないのです。
だから水心子は戸惑い、彷徨い、悩み続けた。自分の守ろうとしている未来には綻びがあるのに、守るべき価値があるのだろうか?と。
自分の使命を誰よりも理解しながら、この疑問を抱くことは水心子にとってかなりの脅威だったのではないでしょうか。
ここで「そうです」と言い切らないミュ審神者もまた優しい。
答えは与えるものではなく、自分で見つけるものだという教育方針、素晴らしいです。
大典太は何処から出てきたのか?
初見ではよくわからなかった、大典太は一体どこから現れたのか?という疑問点に対する個人的解釈です。
ここ、最初は三池が一緒に出てきたように見えていました。なぜなら初っ端から完成度の高い兄弟デュエットをぶちかましてくれたので…。
でもよく見てみると、大典太が出てくる前、審神者と水心子が会話しているシーンでソハヤが水心子を呼びに来ていました。
つまりソハヤはあの時点で既にミュ本丸に顕現していたということです。
そしてソハヤが水心子を呼んだ後に場面転換して出てくるのが大典太。
大典太が出てくる前には鳥が飛び去る音と蔵の扉が開くような効果音が流れます。
大典太は長らく前田家の宝刀として蔵に仕舞われていたのは周知の事実ですが、ここで大典太が出てきた蔵ってもしかして…ゲーム本編に出てくる江戸城の宝物庫なのでは…???
そしてソハヤと水心子は江戸城周回して集めた鍵で宝物庫を開けていたのでは…???
ソハヤは大典太が出てきてから「待たせたな、兄弟!」って飛び込んできます。ここの「待たせたな」はつまり宝物庫を開けて探してたということでは??
一緒に出陣したはずの水心子があの場に居ないのも、別の宝物庫を探していたからじゃないかなと思っています。
3月はちょうど江戸城イベントがあったし、しかも今回は三池がどちらも仕舞われていたので、タイミング的にこの解釈が合いそうだなと。
しかし顔を合わせてすぐにあの完成度のデュエットをぶちかませる三池すごい…最後の納刀が同時なのもかっこいい…源氏兄弟もそうですが、霊力の高さがなせる技なんでしょうか…。
余談ですが個人的に2部の三池曲は仮面ライダーのOPぽいなと思って見ていました。ニチアサが似合う。
あめさん⇔くもさん
なんとなく平仮名で書きたくなるあめさんとくもさん。
江は今のところ豊前江以外、顕現(もしくは登場)シーンで歌いますが、産声みたいなものなんでしょうか。
この二振りは綱吉の時代に将軍家にあったという共通点を持ち、二振りとも犬をイメージした姿になってます。生類憐みの令です。
かつての主が愛したものの姿をしている刀剣男士は、それだけ人の想いが宿っている感じがあります。
五月雨江は、その名を多く詠んでくれた松尾芭蕉への想いが強いと顕現時に口にしてますし、ゲーム上でも松尾芭蕉が忍者だった説から忍というキャラクター性を得ています。
村雲江はかつての主が悪者扱いされる歴史から、正義と悪を分けることに対して疑念と嫌悪感を抱いているのが特徴的です。
今作でも線を引くことを嫌がったり、結界を作ることを嫌がったりと、そういった考え方に焦点が当てられるシーンが多いです。
このあめさんとくもさん、ゲーム上でも仲良しなんですが今作においては「線」をキーワードに対比されているように見えました。
線を引き、何かが分断されることを嫌う村雲江に対して、五月雨江は忍という役割を果たそうとしています。
役割はひとつの線。つまり五月雨江は自ら線を引いているのです。
歌は想いが溢れだしたものですが、忍んで闇討ちをするときはその歌心を秘める必要があります。
名を詠んでくれた人への想いの大きさを抱えながら自然と溢れ出る歌心を押し込み、役割という線を引く五月雨江。
その経歴から線を引くことで善悪が分かれるのを厭う村雲江。
自ら線を引こうとする五月雨江と、線を引くことに必要性を感じていない村雲江は、繋がりを持ちながらも互いにできないことができる存在なのかなあと感じます。
あと二振りが顕現した後、五月雨江が豊前江に「全員そろっているのですか?」と尋ねていますが、豊前江はそれに対して「いや、(全員そろうには)もう少しかかりそうだ」と答えています。
全員って一体どこまでの江なんでしょう…?稲葉江の名前は出てましたけど…。
豊前江⇔桑名江
五月雨江と村雲江が対比されているように、豊前江と桑名江もまた対比されていました。私の主観ですが。
此処より少し前、清磨が水心子の状況を説明する場面で、桑名江がこんな台詞を言っています。
「わかるわけないよ。地に足つけてなんぼの桑名江だよ」
これは水心子が「いま立っている場所がわからなくなる」現象に見舞われていることに対しての台詞なんですが、豊前江との対比でもあるんじゃないかなと。
豊前江は現在実装されている江のなかで唯一実在するかわからない刀です。
本人も「居場所がわからねえのは俺も似たようなもんだよな!」と口にしています。
存在しているのかしていないのかわからない豊前江に対し、桑名江は本多家に大切に保管され、我々が生きるこの現代でも美術館に会いに行ける刀です。
地に足をつけている=存在がはっきりとしている桑名江と、居場所がわからない豊前江。
この対比も面白いのですが、もっと面白いのが彼らと五月雨江・村雲江の関係性です。
線を引くことを厭う村雲江の視野を広げるのは、全てが循環のなかにあることを理解して地に足をつけている桑名江で。
歌心を秘めて役割という線を引こうとする五月雨江を止めるのは、存在があやふやだからこそ自らの意思で動いて役割を果たす豊前江なのです。
ここにもまた循環する関係性が生まれてるというこのエモさ。みんなぐるぐるのなかに居るんだなあ…。
江戸にまつわるエトセトラ
ここからは江戸周辺のあれやこれやと歴史上の人物についての話をしていきます。
名もなき草と砂礫に覆われる世界
明らかに硬いものを耕している桑名江のシーンに出てくる名もなき草。
これが歴史に名を遺さなかった民草の比喩なのでは?というのは前回お話した通りです。
調べてみると児童文学作家の小川未明の著書にも同じ名前の作品がありました。
これは児童文学というより評論に近い文章なのですが、その中でも今作に繋がりそうな部分を引用してご紹介します。
名も知らない草に咲く、一茎の花は、無条件に美しいものである。日の光りに照らされて、鮮紅に、心臓のごとく戦くのを見ても、また微風に吹かれて、羞らうごとく揺らぐのを見ても、かぎりない、美しさがその中に見出されるであろう。(中略)
どんなに、小さくとも、また、名がなくとも、純粋で、美しかったら、正しかったら、天地の間に、何ものかの力を賦与している。また、何ものの力をもってしても、何どうすることもできない。それは、確乎たる存在である。(中略)
秋霜にひしがれ枯れた、名もない草は、早くも、来年の夏を希望する。そして、その刹那から人知れず孜々として、更生の準備にとりかゝりつゝあるのを見よ。
人生は、また希望である。
小川未明 名もなき草
たとえ名前がなくても、小さくても、そこにあるだけで美しい名もなき草は、秋に枯れても人知れずまた次に咲くために準備をしている。
これもまた循環のひとつです。そして小川未明はその様を人生に喩え、そこに希望があると書いています。
刀ミュって根本にあるのが人間賛歌というか、生命の肯定だと思っているので、この一文は個人的に刺さりました…。
あと桑名江の歌、最初は「誰かいますか 誰も居ませんか」って大地に呼びかけているのに最後は「知ってますか 知ってますよね」ってこっちに呼びかけてくるところが好きです。ちょっとぞわっとくる感じが。
桑名江がノックしてる大地には人も埋まってるかもしれませんし…「死ねば土」だし…あれ…怖い話になってきたぞ…?
誰も帰ってこないと植物に覆われてしまうという桑名江の台詞に対して、水心子は「そしていつかはそれすらも枯れ果て、世界は砂礫に覆われる…」と呟き時代を移動します。
そこに出てくるのが勝海舟です。ここでのキーワードは【放棄】…江戸を放棄する勝海舟と放棄された江戸に居た水心子が存在する空間です。
勝海舟が江戸を放棄したことで江戸時代は終わりを告げ、明治時代が始まります。
世界が砂礫に覆われる様を見た水心子がこの無血開城シーンに飛んだということは、その後の東京が砂礫に覆われる様を見た可能性もあるのかな?と考えています。
東京が最初に砂礫に覆われる、つまり壊滅するのは関東大震災です。ここで明治の街は殆ど崩れ去り、驚異的な復興を果たした東京には新たな街並みが生まれました。
その後、第二次世界大戦の東京大空襲でその街も焼け野原となるので、また砂礫に覆われます。
桑名江が居た世界は台詞から推測するに誰も戻ってこない可能性が高いようなので、ある意味放棄された世界といえます。
砂礫に覆われた後、復興が進まずに住む人が居なくなった世界。
桑名江が居る世界は、人が集って江戸城を築く豊前江の居る世界(時代)と対照的です。
分陀利華(プンダリーカ)と結界
天海が将門公の怨霊を封印するために登場する際の歌にこんな歌詞があります。
「咲き誇れ 分陀利華 緩むことなき守護神よ
清らかな花を 美しき花を
咲き誇れ 分陀利華 広く永くここに」
分陀利華は仏教用語で白蓮花を指します。
天海は天台宗の僧侶で、密教を主軸に学んでいます。天台宗にとっての至上の教え、経典は法華経なのです。
仏教では泥の中から美しい花を咲かせる蓮華が大切にされていますが、白蓮華はその中でも特別な存在とされています。
汚泥の中で咲く白い花は清浄さの象徴。法華経はその白蓮華の名を冠した経典です。
法華経は梵語で【Saddharma Puṇḍarīka Sūtra(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)】…意味は【正しい教えを記した白蓮華の経典】。
これは千子村正の会心の一撃の台詞。千子村正もまた仏教に関係する刀なのです。
刀剣乱舞における千子村正は千子村正という刀ではなく、千子村正(刀工)から始まる村正の系譜の刀の集合体です。在り方としては新々刀と共通しています。
刀工だった初代の千子村正はこんな一説も持ち合わせています。
桑名の郷土史では、千子は初代村正の母が「千」手観音に祈って授かった「子」であるからとされ、その千手観音像は一説に現在の桑名市勧学寺にあるものであるという。
そしてこの千手観音というのが、密教における三形では【満開の蓮の花(開蓮華)】とされているのです。
さらに千子村正の元になった刀である妙法村正にも【妙法蓮華経】という文字が刻まれています。
妙法村正は初代千子村正作とされており、その千子村正は日蓮宗に帰依していたそうなので、法華経と深く関係があるといえます。
千子村正が帰依していたのは日蓮法華宗で、今回出てくる天海は天台法華宗の僧侶なので全く同じ宗派というわけではありませんが、経典は一応共通しています。*3
ちなみに千子村正は極になると会心の一撃台詞が変わって千手観音の真言になります。ミュでもいつか聞けたらいいなあ。
そして結界です。
結界を張る天海を見て村雲江は「好きじゃない」と言いますが、誰よりも天海を苦手としているソハヤがすかさず「庇うわけじゃないけどな、そういうのが必要な時もあるんだと思うぜ。守るためには」と返すのがこう……誰よりも天海のしていることの意味を知っているソハヤ…。
天海の結界は天台密教の結界です。密教における結界は魔障を祓うための区域制限。そして天海はその基盤として将門公の怨霊を封印しました。
また、密教では、修行する場所や道場に魔の障碍が入らないようにするため、結界が行われる。これには以下の3種類がある。
国土結界
道場結界
壇上結界
天海が初代住職だった寛永寺には「東叡山」(東の比叡山)という寺号がついていますし、鬼門封じのやり方も延暦寺に倣っているため、今回天海が張った結界も国土結界だったと考えられます。
国土=広域を魔障から守るために山などを浄化して区域を制限するのが国土結界です。
この国土結界は浄刹結界・大結界とも呼ばれるようで、コトバンクでは以下のような記述があります。
大結界は国土を限定するもので、空海が高野山建立の際に七里四方を結界し、悪鬼等を退散させようとしたのはこれにあたる。中結界は修法の道場を結界し、小結界は修法壇の周囲を結界するもの。これらの結界は白二羯魔(びゃくにこんま)の法によって行なわれるが、密教では印明を用いる。
真言宗の開祖である空海が高野山に国土結界を張った後、天台宗の開祖である最澄が比叡山に国土結界を張っています。
比叡山にどのような浄刹結界が張られたのかまでは此処では言及しませんが、そこらへんの詳しい内容や地理を自然保護の観点から研究した論文が面白かったです。
実際に京都の雲母坂のあたりには結界石が建っているそうです。
そういうものが残っているということは、結界を張った人の想いもまた残っているということだと感じます。
確かなものと不確かなもの~道灌と豊前江~
道灌が江戸城を築く際の歌には言葉遊びが沢山詰まっていて面白かったです。
「要となる城」を中心に、
- 「道が引かれ」→「導かれる」
- 「そして気づく(築く)」→「いつか築く(気づく)のだろう」※ここは何方ともとれます
- 「そこは街に」→「ずっと待ちわびていた」
といった風に同音異義語を散りばめています。
和歌の修辞法に同音異義語を使って1つの単語にに2つ以上の意味を持たせる掛詞というものがあるのですが、それをイメージした歌詞にみえます。
道灌の山吹伝説に出てくる和歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき」も「実の一つだに」が「蓑一つだに」の掛詞になっているので…。
道灌は何もない場所に道を引き、要所となる江戸城を築きましたが、偉業はそれだけではありません。
彼は江戸城の周りに日枝神社や築土神社、平河天満宮などの神社を持ってきて、人が集う場所を作り上げました。
日枝神社は川越にあった日枝神社を道灌が勧請したのが始まりといわれていて、江戸三大祭りのひとつである山王祭が開催されることでも有名です。*4
築土神社は将門公の首を安置していた神社で、元々津久戸村(現在の大手町)にありましたが、道灌が田安郷(現在の九段坂上)へ移転させました。
なお、築土神社は主祭神が天津彦火邇々杵尊で、相殿*5が菅原道真と平将門となっています。
道真が没した年に将門公が生まれていたことから、将門公は道真の生まれ変わりと伝えられていたり、将門公に新皇に即位したのは道真の霊験によるものともいわれているので、結構繋がりがあることがわかります。
平河天満宮は道灌が菅原道真の夢を見て建立した神社です。ここでも道真が出てきます。
道真は詩文に優れ、百人一首にも選ばれています。
和歌の神ともされていますし、思いついたことを周りの物に書き付けるレベルで根っからの詩人だったそうなので、そういった面で道灌の憧れでもあったのかもしれません。
道真が左遷された先の大宰府で詠んだ歌に、
海ならず 湛える水の底までに 清き心は月ぞ照らさん
というものがあります。
「海よりもさらに深い水をたたえる水底も清ければ月が照らし出すように、私の清い心もまた月が照らし出し無実の罪が晴れていくだろう」といった意訳になりますが、これは新々刀の「水清ければ月宿る」に繋がってる感じがします。
それと、平河天満宮は地域住民の信仰度が高い神社で、調べてみると様々なものが奉納されています。
また、力石や百度石、石牛といった神聖な石が多く存在しているのも特徴的です。
今作、道灌の築城シーンで大きな石を運ぶ演出が多かったのはここにも関係しているのかもしれません。
石を運ぶ時に道灌が歌う曲、歴史上の人物の歌の中で一番好きです。
「この石はどこで生まれた?」と問いかけながら、その出自に関係なく「この立派な石はこの先ここで歴史を支えてゆく!」と高らかに歌い上げてくれるところ。
生まれや育ちに囚われず、歴史を支えていくものは立派なのだと肯定してくれているところ。
このあたりに道灌の人柄が出ていると感じます。
城の石垣という後世に残る確かなものと、皇居の元となった江戸城を作った道灌。
それらを存在があやふやである豊前江が見ているというこの構図。
豊前江は道灌を「立派な奴だった」と評しています。
「生きる」という「当たり前のことを知っている」道灌は「立派な奴」だと。
ここの豊前江の歌もめちゃくちゃ好きなんですよ…メロディーといい歌詞といい…。
「あのでかい石はずっとずっとここで歴史を支えていく
あんたの遺志(意思)受け継いで 立派に役目果たすぜ」
この時点で豊前江は道灌の最期を知っています。恐らく彼の役目は道灌を正しく死なせることだったのでしょう。
その上で、豊前江は道灌がどんな人間なのかを知ろうと自らの意思で江戸城の築城作業を手伝っていました。
道灌は暗殺されてしまいますが、道灌が作り上げたものは時を越えて確かなものとして歴史を支えていく。道灌の想いは受け継がれていく。
豊前江はきっとそれを理解して、また「風のその先へ」走ると決めたのだと思います。
ここでいう風は音曲祭でパライソの面々が歌っていた「無常の風」…つまり人の死も意味していると考えられます。
歴史に記された確かな最期。変えることのできない結末。それらを越えて走るのが自分の役目なのだと、豊前江は歌っています。
この辺は後でまた書きますが、道灌の暗殺シーンにも繋がってくる演出なのがヴッッってなります…。
歴史と機能
今気づいたんですけどこの考察と感想長いですね…。
ここからは中盤の最後の方で気になったポイントを紹介していきます。
7人の将門公と双騎のシステム
清磨が大典太に三日月宗近のことを尋ねるシーンで、大典太は三日月宗近というものが「機能という名の呪い」であると答えます。
また、同時に問答を繰り返す水心子は、文字や名前が線=境界であることと、その線は誰かが呼んでくれるから存在しているものだという考えに至ります。
機能=呪いもまた線=境界のひとつなのでしょう。一人では呪いは成立しません。誰かがそれを呪いと認識することで呪いが生まれるのです。
今回の演出では将門公もまた呪いという機能の一部になっていました。
討ち取られた後、【7人目】となるべく他の将門公に回収され、同じモノとなる様は何処か双騎のオープニングとエンディングを思わせます。
「彼らの悲哀を、情念を、生き様を、
後の世の、また後の世まで、彼らと共に語り継ぐ……
それが、私の役割でございます」
双騎のオープニングではこの瞽女の語りと共に曽我兄弟の形をしたモノに魂が宿り、物語を繰り返し、語り継ぎます。
物が語る故、物語。
仇討ちを果たした兄弟の亡骸は再びモノに戻り、また語られる時を待つのです。何年も、何百年も、その物語を忘れぬ人が居る限り。*6
曽我物語はひとりの女性、十郎の恋人であった虎御前が語り始めたものといわれています。
そしてそれを口頭で語り継いでいったのは、冥界に近しい巫女や比丘尼であったとも。
何故彼女たちが語り継いでいったのか。それは苦難に満ちた生涯を送った曽我兄弟の御霊を鎮魂するためだったそうです。
双騎で語り継いでいるのは瞽女ですが、この瞽女は盲目の女性です。
盲目の女性で思いつくのはやはりイタコではないでしょうか。イタコは死者の魂を自らの体に憑依させることが出来ます。
五感の一部を機能させない状態は神や霊といった人ならざるモノへ近づく条件でもあるのです。
また、瞽女に関しては「七十一番職人歌合」において琵琶法師(男性)が右に、瞽女が女盲として左に配置されています。
そこに描かれている琵琶法師の発言は「あまのたくもの夕煙、おのへの鹿の暁のこゑ」…平家物語の「福原落」の一節です。
対する瞽女(女盲)の発言は「宇多天皇に十一代の後胤、伊東が嫡子に河津の三郎とて」…これは双騎でも歌われていましたが、曽我物語の一節です。
琵琶法師とは盲目の僧を指します。そして琵琶法師といえば平家物語を語る、というのが歌合当時の常識でした。
その対として瞽女が描かれ、曽我物語の一節が添えられたということは、瞽女が曽我物語を語るのはその時代の常識だったということになります。
めちゃくちゃ話が逸れました。
つまり、語り継ぐことは鎮魂の意味を持ち合わせています。そして語り継がれる限り、物語は繰り返しその歴史を再現します。
そして7人の将門公もまた同じように、その物語を忘れぬ人が居る限り繰り返される呪いという名のシステムなのでは…?
天海があのように将門公を封印し江戸の守護結界の基盤としたことで、更に知名度は上がったはずです。実際、現代に至っても将門公については伝説や噂話が尽きません。
そもそも、なぜ将門公が7人居るのでしょうか。
これは歴史を繰り返した結果現れた怨霊とかではなく、室町時代に出版された『俵藤太物語』で「将門と同じ姿の者(影武者)が6人居た」と書かれているためだと考えられます。ここに将門公本人を含めて7人となります。
この7という数字は当時将門公が信仰していた妙見信仰が元になっているようです。
妙見とは真理や善悪を見通す優れた視力を持つ者を指します。
妙見信仰は北斗七星や北極星を神聖なものとし、それを神格化した妙見菩薩を信仰するものです。
中世の武士には軍神として祀られることが多く、将門もまた妙見菩薩に関わりのある武士でした。
遅くとも建武4年(1337年)には成立したと見られている軍記物語『源平闘諍録』以降、将門は日本将軍(ひのもとしょうぐん)平親王と称したという伝説が成立している。この伝説によると将門は、妙見菩薩の御利生で八カ国を打ち随えたが、凶悪の心をかまえ神慮にはばからず帝威にも恐れなかったため、妙見菩薩は将門の伯父にして養子(実際には叔父)の平良文の元に渡ったとされる。この伝説は、良文の子孫を称する千葉一族、特に伝説上将門の本拠地とされた相馬御厨を領した相馬氏に伝えられた。
天海が将門公の怨霊を封印して張った結界もまた北斗七星を象っていましたが、これはその妙見信仰に通じるものと考えられます。
将門公の影武者は見分けることが難しかったのですが、こめかみが弱点であることや、太陽光を浴びても影が出来ないという特徴を持っていました。
この弱点や特徴を、後に将門公を討ち取る俵藤太に密告したのが桔梗の前と伝えられています。
裏切られたことを知った将門公が死の間際に「桔梗咲くな」と呪いの言葉を吐いたとも。
ただし、これはあくまでも伝承で、裏切った女性が桔梗の前ではなかったという説も存在します。『将門記』では桔梗の前の名すら出てきません。
なぜ桔梗の前がこうして伝えられているのか、その一説に桔梗の花と山伏(カッカッカの方ではない)の関係性を取り上げたものがありました。
山伏が医薬品として重宝していた桔梗の根は花が咲く前に摘む必要があったため「桔梗咲くな」という創作部分が付け加えられたというものです。
もしこれが本当なら、咲く前に摘まれてしまう桔梗と、実をつけない山吹の花は対比されているように思えます。
歴史を知るということ~零れ落ちる歌心~
道灌の暗殺シーン。一度は助かった道灌を、後から駆けつけてきた豊前江が爽やかに挨拶を交わしながら正面切って殺害する衝撃的な展開でした。
これは前回もお話しましたが、こうやって歴史上の人物と顔を合わせた状態で実際に刀を振り下ろしたのは豊前江が初めてです。
しかもよく見ると心臓を一突きで殺してませんか…。
剣技としての「突き」は致命傷を確実に与えるためのものです。
今回、豊前江は道灌の胸を突いていました。この胸部に対する突技を生理解剖学的に研究した論文を拝見したのですが、その威力についてはこう書かれています。
剣先が深く入って胸腔内に存在する肺、心臓を損傷すれば致命的なものとなりうる。(中略)胸骨の両側に存在している肋軟骨は軟骨であり、容易に切ることが可能である。しかも左側の肋軟骨の奥には心臓が存在しており、この部位は特に胸突きのうちでも重要視されなければならないと考えられる。肋骨と肋骨のすきま、即ち肋間には肋間筋が存在し、肋骨を上げ下げして呼吸動作を行う役目をになっている。ここを刃がたてではなく、横に近い向きで突出せば、楽に胸腔内に剣先が侵入することが可能となる。
柳本昭人.剣道の突部における生理解剖学的研究.東京学芸大学紀要.第5部門,芸術・体育,1988,Vol.40,p.263 -269(東京学芸大学リポジトリ)http://hdl.handle.net/2309/12149 ,(参照 2021-04-16)
画面で見た限り、豊前江は刃を横向きにして道灌の胸を貫いていたので、やはり心臓を狙って突いたのだろうなと…。
そして声もなくこと切れた道灌を見て「これが歴史だからな。知りもしねえで殺したくはねえんだ」と口にする豊前江。
豊前江は江戸城の築城作業を手伝う中で、道灌の人柄を間近で感じ、その立派さを確認していました。
「歴史だから」という理由だけで相手のことを知らずに殺すのではなく、相手がどんな生き方をしていたのかを知ったうえで「歴史通りに」殺した豊前江。
歴史を守ることが刀剣男士の使命だから、分岐点さえ間違えなければ知らなくても殺せるはずです。
しかし豊前江は相手と話して、相手を取り巻く人の顔を見て、その生き様をしっかりと感じて、そのうえで使命を果たしました。
「風は止まらねえ 川の流れも
それは変わらねえ
だから俺は走ると決めた
風のその先へ…」
石を運ぶ場面で道灌の立派さを歌った豊前江は、最後にこんな歌詞を口ずさんでいます。
この風が無常の風であることに加え、川の流れは歴史そのものを指していると考えられます。
変えられない結末と歴史の流れを越えて走ると決めた豊前江は、もう迷わないのでしょう。
それでも切なそうな表情はしていましたし。道灌のことを「静かの海」へ連れていってあげられたら、と呟いてもいました。
それを見た五月雨江が「汚れ仕事は私の役割です。これからは、私があなたに代わって…」と言いかけますが、豊前江はそれを断ります。
「俺は、出来ればお前には歌だけ詠っていて欲しいよ」と。
五月雨江が「汚れ仕事は私の役割」だというのは、顕現した姿やその性格が松尾芭蕉に関連する「忍」をイメージしたものだからでしょう。
これはある意味、自分の存在に関連する物語に囚われた考え方です。
豊前江はその考え方に囚われず、溢れ出る想いを押し殺さずありのままで居て欲しいと言っているのです。
物語に囚われた生き方ではなく、自分の意思でやりたいことをして欲しいと。
これは来歴や行方があやふやで物語に囚われない豊前江だからこそ出来る考え方だと感じます。
豊前江が江のリーダーなのは、こういう考え方ができるからなのかもしれません。
ここで豊前江に頼まれて五月雨江が詠んだのは、松尾芭蕉が吉野川の上流で詠んだ山吹の一句。
「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」
吉野といえば桜の名所ですが、実は山吹でも有名です。この歌を詠んだ芭蕉は、このように添え書きしています。
「きしの山吹とよみけむ、よしのゝ川上こそみなやまぶきなれ。しかも一重に咲こぼれて、あはれにみえ侍るぞ。櫻にもおさおさをとるまじきや」
この添え書きから山吹の花は「ほろほろと」散るというより、零れ落ちるようなイメージで詠まれていることがわかります。
「零れ落ちる」というのは道灌と五月雨江にとってひとつのキーワードです。
道灌と五月雨江のデュエット曲にはこんな歌詞がありました。
「人はなにゆえ詠うのだろう
心に留めておけぬから
雲から溢れ零れ落ちる雨のごとく」
心に留めておけない想いが零れ落ちて歌が生まれる。ほろほろと、それこそ吉野川に散る山吹の花のように。
また、この歌は芭蕉が一重咲きの山吹を詠んだものです。
道灌の山吹伝説に出てくる和歌は八重咲きの山吹を詠んだもので、実がならないことを蓑がないことの掛詞にしていますが、実は一重咲きの山吹の方は実がつくのです。
つまり五月雨江が詠んだ歌は、道灌の行ったことやその生き様は花(生命)が散っても決して実のないものではなかった、という意味にも取れるのでは…?
豊前江が役割や物語に囚われないで欲しいと告げてから詠んだというのがまた…五月雨江…理解している…。*7
ゆっくりじっくり繋がるということ
桑名江と村雲江が畑を耕すシーンでは、桑名江の考えに触れた村雲江の視野が広がりました。
すべてが循環のなかにあると知ることで、村雲江にとっての線は分かつものではなく、繋がるものへと変化します。
善悪が分かれることへの嫌悪感ばかりに囚われていた村雲江が、まだ見ぬものへ想いを馳せることができるようになるのです。
これもまた一種の物語という呪縛からの解放といえるでしょう。
桑名江と村雲江の歌もまた優しさに溢れていて好きです。焦る必要はない、ゆっくりでいいという優しさ。
「次に降る雨はその昔 焼き入れのとき触れた水かもしれない」
っていうこの歌詞が天才………自分の誕生に携わったものもまた循環しているというこの…この……(語彙力喪失事件)
畑に何を植えようか考える桑名江に、村雲江は山吹を植えることを提案しかけて止めます。
雨さんが、と口にしているので、道灌と豊前江の話を聞いていたのかもしれません。
「花なんか飢えたところでお腹は膨れないし、何の役にも立たないよね」という台詞は、道灌の山吹伝説に出てくる「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」に繋がる部分があります。
でも桑名江は「いいね、山吹!ここは一面の山吹畑にしよう!」とその提案を受け入れました。
「確かに花は食べられないけど、必要だと思う」という台詞、これって物凄い肯定だと感じます。
実をつけるものばかりを選ぶのではなく、実のない花も存在していいと言う桑名江。
誰も戻ってこない放棄された世界でも、それは必要だと言い切ります。
この時植えられた山吹が一重なのか八重なのか、それは今の時点ではわかりません。けれどどんな花であっても必要なのです。
名もなき草があるように、ただ咲き誇る花も存在する意味があるという肯定。
実をつけない花や名もなき草というのは、歴史に名を遺さない人々の象徴です。
たとえ名を遺さずとも、その人々が歴史上で不要になるわけでも、存在しなくなるわけでもありません。
ここにもまた刀ミュの人間賛歌がある…と感じてちょっと泣きそうになりました。
桑名江のどっしりとしたあの雰囲気がまた良い。ゆっくり、はっきり、うん!って言ってくれるあの安心感。すきです。
将門公と繋ぎ馬
江戸を跋扈する怨霊となった将門公の歌の中に「儂しか乗れぬ繋ぎ馬」という部分があって、気になって調べてみた話です。
繋ぎ馬とは文字通り綱で杭に繋がれている馬で、家紋に使われる紋様でもあります。
将門公は戦の際の陣幕に繋ぎ馬を使用していたそうです。また、拠点として活動していた下総・常総のあたりは馬の名産地だったため、彼と馬に関する逸話も多いのだとか。
当時将門公はその騎馬技術の高さを活かした機動的な戦を好んだといわれています。
将門公は戦に使う馬と神社などに訪問・奉納する馬を分けて飼っていたようで、この戦馬が繋ぎ馬の原型とされています。
『将門記』では、乗馬した将門公が戦場を駆け回る様を「竜の如き馬に乗っている」と表現していますが、この竜というのは八尺(2.4m)以上の巨大な馬を指すのだそうです。
今作の冒頭で将門公が鉄製の馬に乗って現れたのは、巨大で強そうな馬を駆る姿をイメージしてのことだったのかもしれません。
普通の人間では御しきれない荒々しい馬、つまり繋ぎ馬を巧みに駆ることが出来た将門公は戦上手=勝ちに繋がる神性を得たといえます。
実際、将門公を祀る神社では必勝のご利益のあるお守りが販売されています。
今回将門公と馬について調べるにあたって一番参考になったのが、将門公を祀る築土神社の解説です。
神社にしかない資料を交えた細かい解説が物凄くわかりやすかったです。
他の将門伝説についても記載されていて、理解を深めるためにとてもありがたい資料でした…!
水面の月に映る歴史
水面に映った三日月宗近と水心子が対話するシーンは、水心子が自分と向き合っているシーンでもあります。
ここの台詞は含みが多すぎて何処を突いても闇が広がってる感じなのですが…「あなたが守った歴史は、大河の流れつく先は…!」と水心子が悲しそうに叫ぶのは、その先に待っているものが三日月にとって良くないものだったからなのでしょうか。
水面の三日月が刀を振り下ろしたと同時に流れ込む記憶の映像は、今までミュ本丸が関わってきた歴史に存在していた主要な人々の顔でした。
あと1人見覚えのない人の顔があったのですが、何か縄で縛られていたのでおそらくパライソの誰かなんだろうな…と推察しています。
これらの記憶と共に降り注ぐのは数多の花びら。そしてその中で仮面の少女はくるくると回っていました。
これまでの歴史において重要視されていた花の名を零し、水心子は何かに気づいて倒れてしまいます。
ここはまだまだ謎が残るシーンなのですが、最後にノイズのようなものが走って真っ暗になる演出があったので、個人的には「何度も歴史を繰り返し、悲しい役割を背負う人々に手を差し伸べていた三日月宗近がいつかフィルムが擦り切れるように消えてしまう未来」が何処かに存在しているのでは…?と思っています。
完全に予想でしかないし、何の根拠もないので聞き流してもらって大丈夫です。
でも、機能という呪いから脱却するためには一度その機能自体が停止するか、消えるかしないと無理だよなあ…とか思ってしまうんですが…真相は闇の中です。
川のせせらぎを守るために
ついに終盤に辿り着きました。
水心子たちがこれまで触れてきた歴史を巡る旅について思ったこと、気づいたことをつらつら書き綴っていきたいと思います。
友と祈り
物語は水心子が審神者に「私の思うようにやらせてもらえないだろうか」と告げるところから一気に動き始めます。
三日月宗近を救うことはできないが、背負っているものを軽くすることなら出来るかもしれないのだと。
大河の流れだけではなく、小さな川のせせらぎもまた歴史のひとつ。水心子はそれを守りたいと自ら行動を開始しました。
そしてここでやっと清磨を見るのです!
それまで清磨はずっと水心子を見ていたけれど、水心子は清磨ではなく自分を見つめることで精一杯でした。
しかし、自分のやるべきことを見つけた水心子は迷わず清磨に「ついてきてくれないか?」と呼びかけます。
その時の清磨の嬉しそうな表情といったら……親友同士の信頼感がすごい……。
まず水心子が向かったのは幕末です。上野戦争で寛永寺が焼け落ち彰義隊が壊滅するシーンが描かれていたため、慶応4年(1868年)ということがわかります。
上野戦争で壊滅した彰義隊の残党はその後、榎本武揚の船に乗って戊辰戦争へ参加したようです。
なぜ幕末へ向かったのかという清磨の問いに対し、水心子は「失われたものと、友のために!この時代から問い直す必要がある」と答えています。
友。三日月宗近と水心子を繋ぐキーワードのひとつです。
ここでいう友は三日月宗近が友と呼んだ人々のことなのでしょうか。
水心子が三日月を友と呼んでいる可能性も…ないとは言い切れないんですが…でも水心子には清磨が居るので、やはり三日月が友と呼んだ人々、つまり【悲しい役割を背負わされた人】たちのことだと考えます。
清磨も、水心子の答えに対して「わかった。水心子がそう言うのなら、僕は信じるよ」というこの…肯定と信頼感を前面に押し出した言葉を返すのが…新々刀の圧倒的親友感…ッッ!!
水心子がどんなに迷っても、惑っても、探し出して見守る存在が清磨なんです……仲間や審神者に対してのフォローも忘れない……。
幕末へ向かった新々刀は三池の刀と共に天海の張った結界を地図に書き足しながらその意味を考えます。
結局そこで明確な答えを得ることはできませんが、水心子は答えが重要なわけではなく、【想い】の方が重要だと口にしていました。
「理屈をつけようと思えばいろんな説が並べられるが…重要なのは【想い】の方だと思ったんだ。ここまで大掛かりな結界を張ろうとした、天海僧正の【想い】…【願い】…【祈り】か」
【想い】は【願い】であり【祈り】である、という水心子のこの言葉、真剣乱舞祭2018の巴形薙刀の言葉と通ずるものがあると感じます。
あの祭に現れた歴史上の人物もまた、三日月が友と呼んだ、もしくは呼ぶべき人々だったので…。
乱舞祭2018は彼岸と此岸を繋ぐもので、繋ぐために必要だったのが互いの【祈り】でした。
あの時の巴形薙刀のように彼方側の【祈り】の重要さに気づいた水心子は、【祈り】に込められた意味や理由を知ろうとここから奔走していきます。
幕末では勝海舟の【想い】の真相を知るために。
その答えは「国そのものを守るため」…水心子は「やはりあなたは結界を広げようとしていたのか」と納得した様子でした。
ここ、最初に行くのが幕末なのでわかりにくいんですが、将門公の時から追っていくと結界は坂東(東国政権)→江戸→日本とどんどん大きくなっています。
一部の地域を守る結界を日本という国全体に広げていく、つまり守るべきものが大きくなったきっかけを作ったのが勝海舟で、彼の持ち刀でもあった水心子はそれにいち早く気づいていたのかな?と考えています。
三池が背負う物語
今回最も霊力が高い三池の二振り。特にソハヤはその霊力の高さゆえ、西国への牽制の意味も込めて久能山東照宮に仕舞いこまれていました。
彼の霊力の高さは家康からも、天海からもお墨付きだったということになります。
作中でも皆が7人目の将門公に苦戦している際、ソハヤが天海から受け取った数珠に霊力を込めただけで強力な力を持つ怨霊の動きが止まりました。
大典太も病を斬り伏せるという伝説を持つ霊力の高い刀ゆえ、前田家の蔵に大事に仕舞いこまれていたので、強すぎる霊力=使われずに封印という皮肉な扱いを受けています。
そしてソハヤと大典太は、天海が7人目の将門公を封印する際に扉の両端に跪いて刀を立てているんですよね……ちょっとこのポーズなんて呼ぶか色々と調べてみたんですが相応しい言葉が見つかりませんでした……。
封印される瞬間、強制されるわけでもなく能動的にそのポーズを取って「よし、役目を果たしたぞ」みたいに目を合わせて頷き合っていた三池。霊刀としての役割がなせる技なんでしょうか。
おそらく三池は三条に並ぶ霊力を持っているのだと思います。三条は歌合で神おろしをしていましたが、三池は今作で封印に携わっていたので…。
「子守唄の絶えない泰平の世」という家康の夢を叶えるべく尽力した天海。
水心子は天海へ、江戸に結界を張った理由を問いかけますが、天海は答えることなく入寂してしまいます。
そもそもミュ本丸が関わった歴史、つまり三百年の子守唄で家康が泰平の世を望んだのは、「親の腕に抱かれ子守唄を聴いて安らかに眠るという当たり前のことすら出来ない戦国の世を呪い、この世から戦をなくしてやりたい」と思ったからです。
江戸を子守唄の絶えない安寧の地とすることは、ある意味家康の呪いから生まれた願いなのです。
家康は三百年の子守唄で描かれた今わの際で「儂はな…戦が大嫌いじゃった。どうしたら戦から逃れられるのかをいつも考えていた」とはっきり口にしています。
そんな家康が夢を叶えるためには戦をして生き延び、戦の種になりそうなことを徹底的に排除し続けるしかありませんでした。
戦を終わらせるために戦をし続けること。この皮肉な矛盾に耐え続けた家康はついに泰平の世を手に入れます。
しかし、自分の死後もその泰平の世が続くためには江戸を守るものが必要でした。それが天海の結界だったのでしょう。
家康の呪いから始まった願いを叶えた天海は、将門公の怨霊を封印する際に密教の調伏法を使っていたのではないかと推測しています。
調伏法は密教の呪術の一種です。
天海は天台密教の僧です。時を同じくして成立した真言宗と合わせて、天台宗は僧侶が修行で呪力を会得し、様々なことを成し遂げることができるのだと最澄と空海が証明した結果、国に受け入れられました。
民俗学者の小松和彦氏は著書『呪いと日本人』において、以下のように記述しています。
ここで私たちが注目したいのは、このように急速に勢力を伸ばしていった密教の中核に、呪い信仰が含まれていたということである。密教用語で「調伏法」「降伏法」などと呼ばれるものがそれである。簡単にいえば、呪術によって敵や悪霊の類いを追放したり、殺したりする法術のことである。
さきほどみた陰陽師の呪いが、天皇や貴族の私的領域に関与する形で勢力を伸ばしたのに対し、密教の呪いはどちらかというと国家の守護、つまり護国の修法としての性格を強調した。
つまり天海は江戸幕府という当時の国家を守護するために調伏法を駆使したのだと考えられます。
また、調伏法は術者が身を傷つけ犠牲にすることで更なる力を得ることが出来るようです。
家康の呪いを成就させるために、自らの命を賭して7人の将門公を封印した天海の調伏法はかなり強大な力を帯びていたのだと思います。
こう考えると家康もまた、江戸幕府を成立させるために必要な機能…つまり呪いを帯びて居たといえます。
天海は入寂する直前にソハヤへこう語り掛けます。
「本意ではなかったであろうが、お前のおかげで江戸は守られた。礼を言うぞ」
ここで言う本意は、恐らく霊力の高さゆえに久能山に仕舞いこまれたことを指すのでしょう。
更に言えば、将門公を封印する際にソハヤが嫌っていた天海から数珠を預かってその手伝いをしてしまったことも含んでいる気がします。
ソハヤはその言葉を聞いて「アンタ、まさか…!」と言いかけますが、天海は既に息を引き取っていました。
決して答えを与えないその姿を見て、ソハヤはやはり天海が嫌いだと言い捨てます。
なにが「まさか…!」なのか。もしかして、天海がソハヤをソハヤとして認識していたことなのでは…?
作中でソハヤは天海に直接名乗りを上げていません。一応「アンタに仕舞われたものだよ!」と皮肉は言っていますが、それだけで名が判明する可能性は低い気がします。
天海は刀剣男士に対してそこまで戸惑いを見せずに、むしろ引き連れて将門公を封印しに行っていました。
天海ほどの霊力を持っていれば審神者とまではいかずとも、刀剣男士がどういう存在なのかわかるのでしょう。
刀に宿る想いが具現化した刀剣男士。
ソハヤはその霊力の高さから、久能山に仕舞われる前から込められた想いが形をとなり宿っていて、天海には当時からその姿が見えていたのではないでしょうか。
ソハヤとしては見えているはずがないと考えていたのに、最後の最後に実はずっと前から天海が自分を知っていたとなれば…。
嫌いだ、苦手だ、と言いながら、最後は天海へ向けて「よくやったんじゃねえか」と賞賛の歌を贈っています。
家康の夢を叶えた天海と、江戸を見守り続けたソハヤ。互いに与えられた役を全うした同士です。
天海の生き様を見届けたソハヤは大典太と共にこう歌います。
「全うしてやろうぜ
どうせなら 期待以上の物語を」
彼らに与えられた「江戸(国の中心地)を守る」という役割と物語はその霊力を裏付ける確固たるものです。逃れることはできません。
そして江戸が東京になった今も、その役割は変わりません。この先も三池の二振りには物語が積み重なっていきます。
己の存在に深く関わる物語は刀剣男士を形作る血肉です。逃れることのできない呪いともいえます。
しかしそれを悲観的に捉えず、焦らずに全うしてやろうというのがソハヤと大典太なのではないでしょうか。
使われずに仕舞いこまれた刀という皮肉を背負いながら、仕舞いこまれた理由を受け入れて役目を果たす。
そこには、泰平の世を願った家康とそれを叶えた天海の想いが受け継がれています。三池の二振りはこの想いを繋ぐために今作で出陣したのかもしれません。
前回の記事でソハヤが天海に突っかかる理由を考察していたのですが、こうして考察しなおしてみると、家康と引き離されたことよりも久能山にしまい込まれたことに対して突っかかっていたのに気づきました。
勢いだけで書いていた…解像度が低くて申し訳ないです。
ところで、「物語」とは実際にどのようなことを指すのでしょうか。
これについて調べていた際に國學院大學の副学長である石川則夫氏が「物語」について解説している記事に辿り着きました。
そこで特に印象的だったのが、「物語」の定義と物語を読むメリットについての発言です。
例えば赤ちゃんが「オギャア」と生まれてから老人になるまでなど、一定の期間に人間が経験する出来事を時系列に整えて語っていくことが「物語(narrative)」なのです。(中略)
最近の人間評価の指標は単純化してしまい、「勝ち組」「負け組」という二項対立で評価を決めてしまうことが随分とありますが、「そうじゃない」物語があっていいと思います。そういったものが昔から物語として作られ、読まれ、享受され、さまざまな形に派生することを繰り返してきました。
石川則夫.「物語」こそ人生の指針.2019(國學院大學メディア)https://www.kokugakuin.ac.jp/article/136948,(参照 2021-04-17)
これに沿って考えると、刀剣男士が背負っている「物語」はそれまで関わってきた人々の生き様や死に様そのものということがわかります。
刀ミュにおいて、それは【想い】…もしくは【願い】【祈り】と等しいのだと感じます。
そしてその「物語」は勝ち負けにこだわらない、「そうじゃない」物語なのです。
刀ミュ本丸では勝負事の決着が悉くつきません。きっとそれは「そうじゃない」物語を肯定するひとつの要素なのだと思います。
言わぬが花の吉野山
水心子が幕末を経て向かうのは室町時代です。そこでは太田道灌が江戸城を築城し、豊前江と五月雨江とその美しさを眺めています。
なぜ江戸城が美しいかという道灌の問いかけに五月雨江は答えることができませんが、豊前江はそこに集う人が居るからこそ美しいことを知っています。
美しいものは、人が作り、人が住み、人が関わるから美しい。
道灌は相手勢力を抑え込むためだけに江戸城を作ったのではありません。荒れた地を整え、道を引き、人が寄せるように設計しました。
人が寄り添い、街を作り出す。それを守る要となるのが江戸城なのです。
面白いのは「荒れ地を耕し道を作る」という構図が、放棄された世界で土を耕す桑名江と似ていることです。
桑名江の世界にはもう誰も帰ってこないかもしれないので、あの時点で人が集うことはありません。
しかし、そこに集った人々が居たのは確かで、桑名江はそれを確かめるように大地に色々と尋ねていました。
何もない場所でも、そこに人が集えば想いが生まれます。その想いはたとえ人が消えても、場所が、大地が覚えているのです。
道灌が作った江戸城にも、多くの想いが宿りました。そしてそこに集う人々が居るからこそ城が美しくなるということは、想いを宿すことで美しくなることと同義だと感じます。
人が関わらずとも自然は美しいと言う五月雨江に対し、道灌は「それを見て【美しい】と想った者の心が美しいのじゃ」と返しました。
この考え方なのですが、先ほどご紹介した小川未明の『名もなき草』に通じる部分がありました。
美しいものや、正しいものは、常に、この地上の到るところに存在するであろう。しかし、これを感ずる人は、常に、どこにでもあるとはいわれない。なぜなら、その人はまた、謙虚にして、誠実であり、美や、正義に対して、正直に、それを受けいれることのできる人でなければならぬからだ。
『名もなき草』で通じる部分があるのも道灌と桑名江の個人的な共通点だなと思います。
桑名江は、あの地に群生していた名もなき草を刈り取ることはしませんでした。そしてその草に名前があることも知っていました。
道灌は、江戸城を共に築城した者たちと日々顔を合わせて労っていました。歴史には名を遺さない人々と関わり、励まし合い、共に汗を流しました。
勝者だとか敗者だとか、そういう境界線を持たずに、名もなき民草に目を向けた。桑名江と道灌の視点は似ているのかもしれません。
水心子がなぜ江戸城を此処に築いたのかと問いかけた時、道灌は明確な答えを返しません。
七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき
この歌と共に「そのうち分かる時が来る。己の愚かさとも向き合うことになるがの」と告げて去っていく道灌。
道灌が詠んだのは山吹伝説で道灌が歌心に気づくきっかけとなった兼明親王の歌*8です。
ここで言う「己の愚かさ」とは何を指しているのでしょうか。山吹伝説に沿って考えると「相手の想いを汲み取れずに怒って(怪訝に思って)しまった己の知識不足」となりますが…失敗は成功の基とかいうそういう…?
つはもので三日月が岩融にリアル勧進帳シーンを見せた後に言っていた、
「なに、皆一緒だ。間違えたり、寄り道したりを繰り返して成長するものさ」
という台詞がありますが、これは道灌が江戸城を築城した理由にも繋がってくる……?
結構色々考えてはみたんですが、これだ、という答えは見つかりませんでした。まだまだ考察の余地ありです。
豊前江にこの歌の意味を問われた五月雨江は、何かを感じ取っているものの「言わぬが花の吉野山、です」と答えを口にせず去っていきます。
この「言わぬが花の吉野山」というのは所謂「地口(洒落)」のひとつです。
本来の意味は「言わぬが花」だけに込められているのですが、ここで五月雨江が敢えて「吉野山」をつけたのは、吉野山が山吹の名所であることにちなんでいる気がします。
そして五月雨江が「言わぬが花」という慣用句を選んだのも、道灌の山吹伝説について詠んだ漢詩に関係しているのでは…?
孤鞍雨を衝いて 茅茨を叩く
少女為に遣る 花一枝
少女は言はず 花語らず
英雄の心緒乱れて 糸の如し
ここの「少女は言はず花語らず」に絡めたうえでの「言わぬが花の吉野山」だったのかなあと…。
また、「言わぬが花」は世阿弥の「秘すれば花」から生まれた慣用句という説があります。
この「秘すれば花」は世阿弥が能の理論を記した『風姿花伝』に書かれた「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」という一節からきています。
直訳すると「秘密にするからこそ美しい花が咲き、秘密にしないのであれば美しい花は咲かない」になるのですが、要は「芸の中で全てを詳らかにしないからこそ観客が惹きつけられる(想像力を搔き立てられる)作品になる」という意味です。
世阿弥は「この分け目を知ること、肝要の花なり(秘密にするかしないかで美しい花が咲くか咲かないかを知ることが、花について考える上で重要だ)」と述べています。
この「花」とは植物の花そのものではなく、演者が観客に与える「感動」のことを指しています。
何処にでもあるありきたりな感動ではなく、思いがけない感動を与えることを「花」としているのです。
この理論、今作にも繋がる点があると感じます。舞台上で語られないことが多ければ多いほど考察も捗るというか。今がまさにそうなんですが。
「秘すれば花」の東京心覚で唯一登場人物が全員歌うのは『終わりなき花の歌』なんだよなあ…!!
勝った者の歴史と語られぬ者の存在
勝海舟・天海・太田道灌を巡り、新々刀が最後にたどり着いたのは平将門の乱真っ只中の平安時代中期です。
ここでは将門公が時間遡行軍と戦っています。そこへ加勢した新々刀へ疑問も抱かず「助太刀ご苦労!」と言い放つ将門公は既に三日月と接触済みでした。*9
彼がなぜ「新皇」を名乗ったのか、その理由を尋ねた水心子に対し、将門公は「(その真意を水心子が)知ったところで歴史は変わるまい」と言い放ちます。
三日月宗近に同じことを尋ねられていた将門公は、歴史の定義を水心子達へ教えるのです。
「歴史は【勝った者が語るもの】…当たり前のことだ」
歴史の中で悲しい役割を背負わされた人々は、当然【勝った者】ではありません。そして歴史の中で【勝った者】は【正義】に分類され、語り継がれていきます。
この【勝った者が語るもの】という考え方は、葵咲本紀の明石国行の言葉にも繋がっているように思えます。
時間遡行軍となって結城秀康を唆す怨念と化した稲葉江を救おうとする篭手切江に対し、「やっていることが気にくわない」と告げた際の言葉です。
「戦争ってそういうことやん。互いの正義のぶつかり合いや。ほいでもって勝った方が正義の中の正義。負けた方はいつだって悪者や」
そして明石はこの単純な構図について、心が壊れないようにするために必要なものだと言い、篭手切江がやろうとしていることを偽善だと切り捨てました。
稲葉江は歴史に名を遺した特別なものだから助けたい。なのに、自分たちとそう違いのない時間遡行軍のことは助けないのは「歴史に名を遺さなかった価値のないもの」だから。
この矛盾した行動に対して、明石が唯一本心を露にした台詞が、
「全てを救えないなら、誰も救えてないのと同じだ」
という一言。
でも明石は歴史に名を遺さないものを壊してもいいという考え方が赦せないのに、歴史に名を遺さない悲しい役割を背負わされた者たちの味方をする三日月を目の敵にしてるという…なんなんだ明石…おまえは何者なんだ本当に…。
話を戻します。
将門公は歴史が【勝った者が語るもの】と割り切りながら、歴史に残らなかったものが【無かったもの】とはならないことを新々刀へ語ります。
たとえこの戦に敗北しようとも、歴史を語るものにはなれずとも、己の存在そのものが消えるわけではなく、この世で生きたことは確かなのだと。
この結論を聞いたとき、「形あるものがこの世のすべてではない」と言われたような気がして…その時の将門公の表情も相まって、物凄く腑に落ちた爽やかな気分になりました。
勝ち負けに関係なく、歴史に遺ろうが遺らまいが関係なく、いま生きていること・かつて生きていたことは確かなのです。
つはものでも己が存在しているのかしていないのか不安がっていた膝丸に対し、髭切はこんな言葉を向けています。
「歴史上に存在していようとしていまいと、今ここに存在しているのは事実だろう?それでいいんじゃないかなあ」
そんな気持ちのいい結論を出した将門公が【新皇】を名乗ったのは、他でもない「惚れた女のため」。
いつも傍で咲いていた、美しい花を守るために彼は立ち上がったのです。
終わりなき花の歌
今作で唯一登場人物全員が歌唱しているのがこの歌。
歴史上の人物と刀剣男士が共に本編で歌うのって初めてなのでは?
これは刀ミュにおける歴史の流れの中に居る人々と、それを見つめる刀剣男士が歌う花の歌です。
将門公は己の心を捉えて離さない一輪の花(桔梗)を歌い、
道灌は留めておけず零れ落ちた想いを受け止める黄金色の花(山吹)を歌い、
天海は三百年の子守唄を支えた汚泥に染まらぬ穢れなき花(白蓮華)を歌いました。
そして刀剣男士が歌うのは、花を咲かせる「種」について。
「戦場に散る 無数の種
血を浴びて芽吹くは いつの春か いつの時代か
産み落とされた実がまた花を咲かす」
この歌の中の「種」は終わりゆく生命を指すのでしょう。
刀は肉と骨を断ち生命を奪うことができる、人の死に近い道具です。
戦場で種を散らし、花が芽吹くための血を浴びせることができる存在ともいえます。
花が生命なら、種はそれが尽きる瞬間。
いつか終わりがくる生命を持つ人間が花を歌い、終わりのない生命を持つ刀剣男士が種を歌う構図は対比されています。
大サビの歌い分けもそれぞれの存在に沿っているように見えました。特に印象に残ったのが、以下の歌詞の振り分けです。
- 刀 → 終わりなき・永久に続く
- 人 → 花の歌
刀剣男士は「この生命 終わりはない」と歌っている通り、人のように儚く散ることがないのでそれを表現した歌詞を振り分けられています。
対する人間は「この生命 終わりは来る 必ず来る」と歌い、咲いて散る花にその特性を重ねた歌詞を振り分けられているので天才の所業です。
斃れる人々とそれを見つめて共に歌う刀剣男士の図、あまりにも壮大すぎて大河ドラマのようでした。刀ミュでは歴史=大河の流れなので余計に。
綻びと開花
今作のメインである水心子だけは終わりなき花の歌のラスサビ前に離脱しています。
斃れても歌い続ける人々を見て戸惑ったような表情をしながら、段々と舞台上から姿を消し、歌が終わってから赤と白の花びらを手に現れました。
ここで水心子が最初に歌う曲には『月光ソナタ』のメロディーが組み込まれています。
生きる為に美しい花は生きる為に朽ち果てる。いつか生命の終わりが来ることを知りながら生きる人間という美しい花の宿命を、水心子は切なそうに歌います。
この時点で背景に映る月はこれまでのものとは違い、見えない部分が増えて三日月の形になっています。
それを見上げながら、水心子はこう呟きます。
「ずっと不思議だったんだ。僕には世界がいびつに見えてた。見上げる月はいつも三日月だった。でもそんな筈がないんだ。見えていなくても月はそこにあるんだ。まあるいはずなんだ」
水心子が見ていたいびつな世界は放棄された世界のことなのか、それとも、偏った視点でしか世界が見えていなかったということなのか。ここはまだ読み解けていません。
そしてこの台詞はつはものの髭切と繋がる言葉です。
「見えない部分も月だったよ。しっかりと光を放ってる。その光はやっぱり見えないけど…」
この「見えない部分が放つ光」は「歴史の中で光のあたらないものへ注ぐ小さな光」です。
見えている部分と見えない部分は本来ひとつのもの。浮かぶ月はまさに「歴史」を体現しているといえます。
三日月自身はその光のことを「たかが三日月、されど三日月の放つ小さな光でも無いよりはましだとは思わないか?」と語っています。
歴史を駆け抜け、失われたものと友のために【想い】【願い】【祈り】を問い直してきた水心子は、歴史のなんたるかを知りました。
人々が「歴史」と認識しているのは「勝った者が語るもの」でしかなかったこと。
本当にあったことは誰も覚えていないこと。
そして、限りある生命が次に託した【願い】はこの先も残っていくこと。
この悲しくも美しい繰り返しを、水心子は否定せずに「それでいい」と受け入れました。
その背後では、咲き乱れる山吹の花に囲まれて、仮面の少女がゆっくりと舞っています。
それまで小袖を纏っていたように見えた少女が、この時だけは千早*10を纏っていました。
最初は庶民と同じ格好をしていた彼女は、鮮やかな黄金色のなかで神事に使われる小忌衣を纏っているのです。これは水心子が歴史を理解したことで、少女の霊格が上がった意味もあるのではないかと感じます。
水心子は序盤で「いつ生まれたかもわからぬ綻び」を見つけたと歌っていました。
その「綻び」を修正するのが今回の任務と思いきや、蓋を開けてみると「綻び」から生まれるものを知る旅だった、というのが私の感想です。
「固く閉ざされた 蕾が綻び
戦い疲れた あなたは綻び
想いが生まれた」
蕾が綻べば花が咲くように、閉ざされた心が綻ぶことで想いが生まれる。水心子が歌った「あなた」は三日月のこととも取れますし、歴史の中で生きた人々と考えることもできます。
「記録にも記憶にも残らなくても、そこに居たんだ。漸くわかったよ。愛しい、と想う心も、歴史を繋いでいるんだ」
もう、水心子のこの言葉が今作の全てです。完全勝利S。
歴史に遺らないからといって、無かったことにはならない。そこに生きた人は確かに存在した。そしてその人たちが居なければ、歴史がここまで繋がることはなかったのです。
作中で将門公が呪いに取り込まれていく際、水心子は三日月がなぜ悲しい役割を背負わされた将門公を救わないのかと疑問を口にしていました。
悲しい役割を背負わされた人の味方ならば、生かすことが救いではないのかと。
しかし、三日月が守ろうとしているのは悲しい役割を背負わされた人の生命そのものではないことに水心子はここで漸く気づきます。
彼が守ろうとしているのは、歴史の中で光の当たらない人の心に生まれた【想い】。
大河の流れを変えようとしているわけではなく、そこに飲み込まれる小さな川のせせらぎの美しさを守ろうとしていたのです。
「愛しい」という言葉は「悲しい」とも書き換えられます。「悲しい役割」に対する三日月宗近の「愛しい」と想う心もまた、歴史を繋ぐひとつの要素なのだと思います。
また、【想い】は【願い】であり【祈り】でもあります。
此方側が死者を弔い、その冥福を祈るように、彼方側もまた此方側のために祈っていることを教えてくれたのが真剣乱舞祭2018でした。
彼方側は此方側…つまり「生きとし生けるもののために」祈っています。
「あめつちはじめて出逢いし時 彼方と此方が祈り合う
魂振り袖振り いついつまでも 此処から生まれて いついつまでも」
彼方側と此方側の祈りは、鎮魂と惜別の中で生まれ、いつまでも続いていく。その先に残った【想い】が歴史を繋いでいくのです。
個人的にはこのシーンで、たどり着いた結論を語る水心子の言葉を「うん、うん…!」と頷きながら否定することなく聞き届ける清磨の存在も大きいと考えています。
誰も居なければただの独白になってしまうところを、親友である清磨が聞き届けることでまた世界が広がっていくというか…新々刀だからこそ辿り着けた場面なのかもしれません。
本当にこう…水心子も清磨も、互いに向ける言葉や視線が優しさに満ちていて素晴らしいですね…。
エピローグ
三日月から托されたものと、ラストシーンのあれこれについて。
あともう少しだけお付き合いください。
役割と物語~三日月から托されたもの~
今作が次に繋がっていく要素をはっきり出してくるのが、三日月宗近と出陣した刀たちの対話シーンです。
三日月は新々刀へ「これまでとこれからを繋ぐ架け橋」となり、江の面々へ「人と人ならざるものの架け橋」となって欲しいと想いを托しました。
気になるのはここに三池の二振りだけが居ないこと。
新々刀と江は「三日月宗近にも出来ないこと」を托される存在でした。
三日月宗近は己の存在を問うことがテーマのつはもので「後の世に形の残った確かな存在」という表現をされています。
それに対し、今回三日月からできないことを託された面々は「確かな物語や歴史」の要素が薄いのです。
新々刀は刀工の名を持つ集合体なので決まった物語がないうえに、霊的要素も少ない存在。
江はそもそも江である確証がなく、江だろうというものたちの集まりですし、リーダーである豊前江に至っては来歴や行方が不明瞭です。
しかし、三池の二振りはそうではありません。彼らは確かな物語と歴史を持っていて、その物語を全うしてやろうと高らかに歌っています。
三日月と同じように自由には動けない存在であるため、三池はここに呼ばれていないのでしょう。
考えてみると、真剣乱舞祭2018で三日月に導かれた巴形薙刀も「逸話なき薙刀」でした。
そして巴形薙刀は決着をつけないという決断を知ります。これは歴史を決めつけず、諸説に逃がす方法をとった三日月だからこそ教えられたことなのだと思います。
また、三日月から想いを托されるこの構図は、『この花のように』を連想させるなあと。
一度巡れば
蓮に心寄せ
托されるは
生涯の約束
矛盾や悲しみという汚泥の中でもがいた先で、刀剣男士もまた心という花を咲かせるんですよね…。
仮面の少女は何者だったのか?
物語のラストは水心子が現代の東京に降り立つという、冒頭と繋がるシーンから始まります。
「君が誰なのかようやくわかった」と呼びかける水心子。しかし、そこにはもう仮面の少女の姿はなく、ただ降り注ぐ砂だけが言葉を聞いています。
このシーンで訥々と語り掛けられる水心子の台詞について、私が口をはさむ部分はありません。
ここはたぶん、この言葉を受け取った人が答えを考えるべき場面だからです。
秘すれば花とは正にこのこと。
そして各々が考えた先には、
「みんな、何が【正しい】なんて無いんだ。想いは…きみの想いは、届いてるからさ!ありがとう!」
という水心子の言葉があるのです。
これはひとつの救済であり、優しさであり、肯定です。
何度も何度も台詞を噛みしめて、その度に溢れ出す水心子からの優しさは、見たものの心の中にまたひとつ種を植えるのでしょう。
ただ、仮面の少女が出てこないことについては少し考えたことがあるので綴ろうと思います。
仮面の少女は水心子の呼びかけには答えず、最後までその姿を見せることはありませんでした。
そもそも彼女は本来見えないものだった、というのが序盤でも述べた私の考えです。
少女が見えていた時点で歴史は分岐し、あの東京は放棄された世界に繋がっていたのだと思います。
では、あの少女は何者だったのか。
本来見えない存在でありながら、歴史の分岐点に度々現れていた少女に繋がりそうな文章を見つけたので記載します。
われわれはじぶんたちの生きている現在と決して完全に同時代にいることはない。歴史は仮面をつけて進行する。歴史は前の場面の仮面をつけたまま次の場に登場するのだが、そうなるとわれわれはもうその芝居がさっぱりわからなくなる。幕が上がるたびに、話の糸口をたどりなおさなければならないのだ。(レジス・ドブレ『革命の中の革命』)
寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫、2014、P40)
この「歴史は仮面をつけて進行する」のくだりがあの少女と繋がるな…と思いました。仮面をつけたまま次の場に登場するのも、幕が上がるたびに話の糸口をたどりなおす必要があるのも。
あの少女は「名を遺さないものの歴史」という仮面をつけた「我々が生きている現在」であり、同時代を生きる我々の目にも本来であれば映らないはずの存在だったのではないでしょうか。
そうなると、最後の水心子の呼びかけの際、仮面の少女が見えないのは分岐したはずの「現在」がいま此処にいる我々の「現在」と繋がったからだと考えられます。
あの水心子の言葉は仮面の少女と繋がっている我々へ向けられたものでもあったのだと、改めて実感することができました。
境界線~1部と2部ラストシーンの繋がり~
本編ラストシーンで時間遡行軍が現れ、再び結界が張られていくなかで水心子はこう叫びました。
「結界は人の心の中にしか存在しない!
必ずまた巡り会えるから、閉ざさないで欲しい!傷つかないで欲しい!
そのために私たちは───」
この言葉に導かれるように他の刀剣男士も現れ、時間遡行軍を倒そうと刀を抜いて、
「すべきことをする!」
と全員が叫び、舞台が暗転します。
この結界と時間遡行軍という組み合わせは、冒頭の場面とほとんど同じです。
違うのは、そこに現れた刀剣男士が水心子以外にも居たということ。
そして彼らは、時間遡行軍と共に結界も断ち切っているように見えました。
暗転する中で流れた音楽は、オープニングの『刀剣乱舞~東京心覚~』のイントロと一緒です。
状況としては1部冒頭と同じでしたが、結界ではなく刀剣男士が時間遡行軍を阻んだことで、歴史は分岐せずに元へ戻ったのかもしれません。
彼らの言う「すべきこと」は「歴史の流れを守ること」…我々の住む現代を、放棄された世界にしないことも含まれるのだと思います。
結界は線、つまりは境界線です。水心子は結界は人の心の中にしか存在しないものだと叫んでいました。
結界は、境界線は、人が何かを分けようとするからできるもの。
コロナという人の繋がりを分かつものが蔓延する現代は、ある意味境界線だらけといえます。
ソーシャルディスタンス。リモートワークにリモート授業。イベントの規模縮小・中止。
それまで当たり前だったものが当たり前じゃなくなった世界。人との距離が開き続ける時代。
そんな世界に生きる我々へ向けて、水心子は「また巡り会えるから、閉ざさないで欲しい」と呼びかけていたのです。
存在しない境界線に囚われて心を閉ざしてしまえば、なにも繋がらなくなってしまうから。
1部のラストシーンで「すべきこと」をした刀剣男士達は、2部のラストシーンで「現代の東京」へ現れます。
そこには時間遡行軍が出現し、この現代の歴史を変えようとしていました。
時間遡行軍は時計が巻き戻る音をBGMに現れます。その背景には濁った水の流れと波紋が刻まれていました。
彼らは大河の流れに波紋を生み出し、水を濁らせる存在。
対する刀剣男士は大河の流れを守り、水の清らかさを保つ存在。
1部の冒頭とラストシーン、そして2部のラストシーンは全て「東京」へ降り立っていますが、すべて状況が違います。
1部の冒頭は、人の心の中にしか存在しない結界が作動し、時間遡行軍を弾いたパターン。ここでは刀剣男士の出番もありません。
1部のラストシーンは、張り巡らされた結界と時間遡行軍を刀剣男士が共に断ち切るパターン。ここで漸く分岐していた時代が元に戻り、我々の住む現代と歴史の流れが繋がります。
そして2部のラストシーンは、結界は存在せず刀剣男士だけが現れるパターン。阻む結界がない現代を蹂躙しようとする時間遡行軍を、今回出陣した刀剣男士達が斬り伏せました。
3度「東京」へ降り立った刀剣男士達は、3度目でやっと我々が生きる現代に辿り着き、あるがままの歴史を守ったのです。
日常シーンでの会話
今作においては五月雨江と村雲江も境界線を自ら作ることで対比されていました。
しかし、五月雨江は豊前江に導かれ、自ら線を引いて歌心を押し殺すことをやめました。
その結果、エピローグで描かれた日常シーンでは道灌に感化された歌心を押し殺すことなく、素直に歌を詠んでいます。
村雲江は桑名江に導かれ、過去の経験から生まれた線を引くことへの嫌悪感から抜け出し、視野を広げることができました。
五月雨江と語らう日常シーンでは、苦い経験だけに固執せず、まだ見ぬものへ目を向けられるようになっています。
彼らの成長は次の任務にも繋がって、歴史を守る力となるのでしょう。
三池の会話では、江戸幕府が三百年以上続いていたらどうなっていたか、というソハヤの質問に対し、大典太はどこかで綻びが出ていただろうと返します。
霊力には限りがある。だから永久に守り続けることはできないのだと。
しかし、「人の想いに限りはない」と大典太は言うのです。
綻びから生まれた人の想いは限りなく続いて、歴史の流れを繋いでいく。
江戸は終わってしまったけれど、江戸を守ろうとした天海の想いは消えずに残っているように。
そして新々刀の会話です。
ここで、あの仮面の少女の話題が出ます。
清磨に少女の名を問われた水心子は「知らない。まだ出逢っていないのだから」と答えていました。
この時点で彼らはまだ我々の生きる現代(2部のラストシーン)へ出陣していない状態です。
そして零れ落ちる砂を背に語り掛けていた時点では、まだあの東京の結界は断ち切られておらず、現在と繋がった我々とも出逢っていないことになっているのだと思います。
「現代の東京」と水心子が本当に出会うのは、2部のラストシーン後。
それでも水心子は、名も知らぬ少女のことをこう評するのです。
「きっと、そこで頑張っている子だと思う!」
あの少女は我々が生きる歴史であり、現在であり、我々自身。
水心子は名も知らぬ我々の想いを、頑張りを、知っていてくれるのです。
この台詞は音曲祭で初期刀が2部のMCで客席へ向けてくれた言葉と繋がっているように思えます。
主が頑張っているところをずっと見ていた、とこの先に明るい未来が待っていることを知っている刀剣男士が言ってくれる優しい空間。
音曲祭と違うのは、はっきり言葉にされる瞬間が少ないことくらいで、同じくらい優しさが詰まった作品がこの東京心覚なのです。
誰かが居ることの意味
今作の考察をしていて感じたのは「繋がり」をすごく意識している、ということです。
ラストの曲の歌詞はその傾向が顕著でした。
「誰も居なくても 大地はそこにある
誰も居なくても 空はそこにある
誰も居なくても 風は吹き荒れる
でも誰かが居なくては 歌は生まれない
誰も居なくても 陽は昇り沈む
誰も居なくても 時は止まらねえ
誰も居ないなら 探しに行こう
誰かが居る風景 誰かと居る景色」
刀ミュの歌詞はどれも天才なのですが今作のラスト曲は特に天才すぎて、『かざぐるま』と同じくらい好きです。
特にここは「誰も居なくても」当たり前に起こる出来事を歌ったあとに、「でも誰かが居なくては歌が生まれない」と人の必要性を歌うところ。そしてそのパートを他でもない五月雨江が歌っているところが天才です。
さらに「誰も居ないなら探しに行こう」と、刀剣男士たちが繋がりを求めて歩み寄ってくれるこの歌詞があまりにも優しくて…すきです…じわじわと染み渡るやさしさ…。
誰も居なくても時は平等に過ぎ去りますが、「誰か」が居なければ成立しないのが人の歴史なのです。
歴史に名を遺した人が居て、名を遺さなかった人も居て、名も知らぬ「誰か」が「誰か」と共に在る景色が続いて現在がある。誰もがひとりぼっちでは何も生まれなかったでしょう。
そして歴史のなかで生まれた【想い】や【願い】…【祈り】は、すべてがすべて正しく伝わるわけではありません。
覚えておいて欲しいこと。忘れて欲しいこと。見つけて欲しいもの。隠して欲しいもの。
水心子の問いかけに答える者と答えなかった者が居るように、【想い】【願い】【祈り】にも様々な種類があります。歴史に記されることだけが正義ではないのです。
歌に込めた想い。心に秘めた祈り。誰にも理解されない願い。誰にも受け止められずに零れ落ちる砂粒だとしても、それは確かに存在したものでした。
これは問わず語り。
誰の耳にも届かず消えていくだけのひとりごとを、最後に新々刀は「聞いて欲しかった」と歌いました。
このひとりごとは「誰か」の心に「想い」という種を宿します。
確かに存在したことを「誰か」ひとりでもどこかで知っていてくれるのなら、たとえいつか忘れてしまっても、歴史はまた繋がっていくのです。
おわりに~学びの場としての刀ミュ~
思ったこと、考えたことを一気に書き綴ってみたらびっくりするほど長くなってしまいました。
こんなに考えたの久しぶりかもしれない…すごい作品にまた出逢ってしまったなあ…。
ノリでアイキャッチ画像とかも作ってしまいました。最近のブログ進化してる。
今回も考察を書くにあたって色々と調べるうちに、これまでの人生で深く触れてこなかった知識を吸収することができました。
調べても調べても終わらないので時間はかかりましたが*11、とても楽しかったです。
刀ミュは趣味というより学びの場としての役割が大きいといつも感じます。
自分の世界や境界線の外側を教えてくれるもの。そして外側と内側に繋がりがあることを知るきっかけになるもの。
この「学び」について興味深い記事が新聞に掲載されていました。
人は自分の中で“これは意味がある””これは意味がない”と物事を位置づけ、大方意味のある方(=役に立つ方)を選んでいます。でもそれではますます自分の世界に固執してしまいます。自分が持っている世界の外側にアクセスできるのが、実は”意味がない”と思っていた一見役に立たないような学びだったりするのです。
例えば、古代文化や宇宙、哲学など、全く日常生活と関係のないもので構いません。必要を離れて、興味を持ったことに一歩踏み出してみる。すると何だか得も言われぬ解放感が味わえることがあるはずです。(中略)趣味も同様に心が軽くなったりしますが大抵の場合一過性です。学びはもっと持続的なもの。物の見方や人生の捉え方まで変化させる可能性があります。
田口茂「アップデートを続けよう:学び」『北海道新聞』 2021年3月25日/朝刊(オントナ)/p3
この記事を読んだとき「私にとっての刀ミュは学びの場でもあったんだ…!!!」と感動したのを覚えています。
学び、知ることは自分の境界線を超える方法です。今作に沿って考えると、歴史を繋ぐひとつの手段であるともいえます。
歴史に遺らなくても、そこで頑張って生きている名もなき人の想いを知った水心子は、我々の生きる現代を「放棄された世界」にしないために「すべきこと」をしにきてくれました。
名前がない、というのは比喩です。本当に名前がないわけではなく、「名前を知らない」ということ。本来そなわっていても知らなければ「ない」と認識されるもの。
けれど、知らなくても存在までは「ない」ことにはなりません。
名を知らずとも草木は伸び、花は咲く。人も花もそれは同じこと。そこには確かに生命が宿り、存在しているのです。
水心子はもうそのことを知っています。
その優しさだけで、『名もなき草』の「人生は、また希望である。」という一説がより染み渡ってくるような気がします。
ちなみに、これを書いている私の頭の中ではずっとこの曲が流れています。
意外と良い歌詞だし、今の話とも割と繋がってるのがポイント。
また長くなってきたのでそろそろ締めたいと思います。
色々なことがありますが、また5月に進化した心覚が見られるように願っています。もう「奪われた時間」が増えませんように。
また次の考察と感想でお逢いできればうれしいです。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
【5/24 追記①】
心覚大千穐楽おめでとうございます、お疲れ様でした。
多くの方がこの考察に目を通してくださっていることをアクセス数で知りました……ありがとうございます。
冒頭で話している通り、この考察が正解というわけではありません。
心覚は「正解なんてない」……受け取る人のぶんだけ想いが生まれて彼らに届く物語です。
こちらは初日のみを掘り下げているため、凱旋公演の内容とは少しズレがあるかもしれませんが……本編で分からなかった・受け取れなかった点の解像度が少しでも上がるお手伝いが出来たのなら幸いです。
【5/29 追記②】
大千穐楽(凱旋公演)を見て改めて感じたことなどをさらっとまとめた記事ができました。
ここまで大長編を読んでくださって本当にありがとうございます。
もしまだ興味やお時間があればお付き合い頂ければとおもいます。
*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%9B
*3:天台宗の経典は他にもありますし、日蓮は天台法華宗に衆生を救う力がないと言い切っていますので、仲良しというわけでもないです。詳しくはwebで!
*4:山王祭自体が広く知られるようになるのは家康が江戸に来てからです。
*6:「そこに居られたのですね 何年も 何百年も。ええ、忘れてはおりませぬ 忘れてはおりませぬよ。語りましょう 歌いましょう 其方達の物語を」
*7:※実は古今和歌集にも紀貫之が詠んだ山吹の歌があります。「吉野川 岸の山吹吹く風に 底の影さへうつろひにけり」…山吹を詠んだ歌は万葉集にも掲載されていましたが、この歌が詠まれてから、吉野川と山吹の組み合わせは常識となったそうです。
*8:本歌は最後が「かなしき」ではなく「あやしき」
*9:疑問なのはなぜ将門公が時間遡行軍に狙われているのかなんですが…将門公を早い時点で葬ることで武士政権を少しでも長くしようとしたとか、そういう話…?
*10:おそらく千早だと思うのですが違ったら申し訳ないです。
*11:犠牲になったもの:戦力拡充計画レベリング