これは水です

これは水です

言葉の流れに身を任せながら

生まれた理由を問い続ける歌 ~歌合 乱舞狂乱 感想と考察(前)


みなさんこんにちは。
今日も元気に推しが尊い!ホント無理!ってなってますか?わたしは割となってます。
去る1月23日、ミュージカル刀剣乱舞「歌合 乱舞狂乱」が無事大千秋楽を迎えましたね。

何も知らずに見に行ったあの衝撃から早1ヶ月。

 

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この間、トライアル公演から各公演をしっかり履修して、もちろん歴代らぶフェスも視聴しました。
dアニメストアの恩恵に加え、髭切膝丸双騎出陣と葵咲本紀も見ることができて、導いてくれた先輩審神者の方々とDMMのアーカイブ配信には頭が上がりません。三百年の子守唄の再演4dxも観ました。座席がぐわんぐわん揺れた。
そんなこんなで過去作の予習は万全!いまでは立派な村正派推し!の状態で大千秋楽のライブビューイングに挑んだわけです。
今度は前と違うぞ!受け取るものがいっぱいあるぞ!って気合を入れて。

 

うん。
記憶と感情だったら感情の圧勝。ノット客観、イエス主観。
もうねえ、記憶なんてねえ、あの圧倒的なパフォーマンスの前には儚いものですよ。
人の夢と書いて儚い。まさにその通り。
あっ……すごい……すごい神事してる……あっ……こんぺいとう……アッアッアァアーーー……椿油……獣!!!!!!イネイミヒタクク……あなめでたや……松井江ーーーー!!!!!!!!
感情の起伏を表すとこんな感じです。記憶としていうならこんぺいとうと椿油と獣。そして松井江。
これだけで考察と感想が書けたらたぶん人智を超えてしまいますわよ……。
覚えていったつもりのイネイミヒタククもやる隙なかったです。意識取り戻したらライビュ限定コメント動画だった。
あってよかったTwitter。そしてDMM見逃しパック。

 

スゴカッタ…という意識に侵されていた思考に叩きつけられた様々な教養ある審神者達の素晴らしい考察と、見逃しパックの恩恵でやっと言語化できるところまできました。
大千秋楽後はネタばれ解禁だったからすごかった、TLに流れてくる情報量の濃さが。ほんとに。
ここには自分で気づいて調べたこと、考えたこと、そして考察を見て更に繋がったことなんかを本編の流れに沿って書いていきたいと思います。
そうしないと情報量多すぎて忘れてしまいそうなので……ほとんど自分用の備忘録です。なんてったってTHE主観。そして限られた視野。歴戦の審神者が持つ目とは程遠い。
時間がめっちゃある時に、ふーんこういう考えの審神者もいるんだな~程度に流し見ていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

歌合 乱舞狂乱 前編


そも、歌合とは何なのか?
これについては多くの審神者が言及しているので、私が説明する必要もないのですが、一応前提として記述します。

 


歌合(うたあわせ)とは、歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び及び文芸批評の会。

引用元:歌合 - Wikipedia


このとおり左右に分かれ歌を競い合わせ、どちらが優れているかを競う遊びのこと。今回開催された歌合もこれをモチーフにした内容でした。
左方は青、右方は赤の装束を着用する点はもちろんのこと、判者(はんざ)と呼ばれる審判役を鶴丸が、講師(こうじ)と呼ばれる歌を詠む役を左右それぞれ今剣と堀川くんが務めていました。
初見では全くわからなかったのですが、よく見ると判者である鶴丸だけ衣装が白一色で、なるほどー!!となる初心者。鶴丸だから白ってわけじゃないんだな……。
鶴という鳥自体が神聖視される側面もあるので、それもあって今回の神降ろしの判者を任されたのかなとも思いました。縁起のいい鳥だしね。
あと講師の二振りは「実在性が不確か」という共通点がある、っていう話をTwitterで見て、そうなると現世より神がいる幽世に近い存在とも取れますね……って後からやっと理解しています。
こんなの初見で気づける訳ないんだよ~!!!教養が欲しい!!!!歌がうまくて小柄でかわいいとかという理由じゃなかった。

 

これ歌合だけの話じゃないんですけど、刀ミュって全力で楽しむためには教養が必要な作品だよなって思います。
オタクを舐めてない。むしろ俺たちが込めた本気に着いて来られるか????ってレベルの情報量。めちゃくちゃ難しいけどめちゃくちゃ楽しい。
あちらがいつも本気できてくれるので、こちらも本気で考えるし愛していける。
これって当たり前に聞こえるけどすごいことだし、幸せなことだなあと感じます。

 

 

 

 

 

 

 

奉踊~神遊び

♦奉踊の神聖さ

どう見ても「これからミュージカルが始まります!」って空気じゃねえ。
初めて見た時、いきなり火がでた!!しかも神楽はじまった?!!ってびびりました。
神聖な雰囲気、張り詰める空気。これはミュージカルじゃなくて神事では……???
「炎に焼かれたことのある陸奥守吉行と御手杵だけ踊りが違う」という話を聞いて見てみたらマジで鳥肌立ちました。
えっそんな……うわ……えっそんなことある……?あった……。
立ち位置や踊りの一つ一つに意味が込められていて目を離す隙がないんですけど……。
私は踊りに詳しい審神者ではないので、細かい振り付けの意味を受け取ることはできていないんですが、おそらく此処にも意味があるんだろうな……。

 

 

 

♦判者の言葉についての考察

判者の鶴丸が語った言葉*1にも色々なものが含まれていて、これがまた濃いです。もう特濃。ここ、ミュ本丸の存在意義が語られた気がして余計に濃く感じます。
「歌とは人々がその想いをよろずの言の葉に託したもの」
想いが込められた歌は神々の心をも動かすというなら、神々の中には付喪神である彼らだって含まれるはずなんですよ。
「この世に生まれ出るもの、何れか歌を詠まざりける」
そしてそこにはもちろん我々人間も、そして神も、鬼やあやかしだって含まれていて、更に「我らも」と刀剣男士たちが宣言する。
つまり、この現世にいるのなら歌わないという選択肢はない。
ましてや、「物に込められた想いを具現化した付喪神」である彼ら刀剣男士が、同じく「想いを言葉に込めた歌」を歌うのは自然なこと。
そう言われている気がして、だから彼らは歌うし、その歌には心を揺さぶるものがあるんだと腑に落ちた気分でした。
想いを起源とするもの同士、相性が悪いはずないんだよな……!!!と自分の中で納得。しかしこれが出だしなのがすごい。

 

あと、歌がどんなものかという説明で
「花の香に昔を懐かしみ 鳥の囀りに耳を澄まし 風に散る草葉の露に袂を濡らし 月傾く雪の朝に春を想う」
という四季折々を詠むセリフにも色んな和歌が盛り込まれてて教養~!!!って感じでした。
秋を表す「草葉の露」を何気なしに調べたら、西行が詠んだ「あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原」にたどり着いたんですが、調べてみたらそこからまさかの「御裳濯河歌合」という西行が主宰した自歌オンリーイベントみたいな歌合と繋がりが見えてひっくり返っています。
露繋がりなら藤原良経が詠んだ「深草の露のよすがを契にて里をばかれず秋はきにけり」っていうのもあったんですが、「草葉の露」が「袂を濡らす」なら零れるだろ(単純)と考えて西行の方をチョイス。
でも藤原良経の歌も「千五百番歌合」っていう一番でかい歌合に関連してるんですよね……ほ……掘っても掘ってもネタが出てくる……学ぶことばかりだ……。

 

春を表す「花の香に~」ですが、昔を懐かしく思う=もういない誰かを想うという描写であれば、藤原俊成の「誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば」がワンチャンありそう(自信はない)。
鶴丸が語る花が花橘であれば、の話ですが……でも橘って夏の花なんだよな……というのが迷いの元。
ちなみに藤原俊成は平安末期の歌合で判者を務めていたことがある人物です。あの有名な藤原定家の父でもあります。出るわ出るわ歌合ネタ。大豊作です。
夏を表す「鳥の囀り」はどの鳥のことかわからないので割愛。夏の鳥は水鶏、行々子、郭公など様々……でも語るのは鶴なのだった……。
冬を表す「月傾く~」は万葉集にある柿本人麻呂が詠んだ「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」からかな……??柿本人麻呂っていったら三十六歌仙の一人ですね。風流だ……。
柿本人麻呂万葉集で言霊についても詠んでます。言霊の力は刀ミュにおいても重要ですよね……想いを言葉に託せばそれは魂となる。このへん掘り下げていくと一言主とか関わってくるのかもしれない。
だんだん広げた風呂敷を畳めなくなってきた。あとは古典が得意な審神者に任せるぜ!という訳で、和歌について私が調べたのはこのあたりでした。

 

 

 

♦神遊びと天照大御神

初っ端から神楽が始まった!と感じたのは間違いじゃなかったという話。
これは刀剣男士による、あちら側にいる付喪神へ捧げる歌と踊り。つまりは神楽歌です。
歌詞もすごい。最初何言ってるかわからなかった。祝詞みたいだなと思ってました

「いかばかり 善き業してか 天照るや
 昼目の神を 暫し留めん 暫し留めん」

これが出だしの歌詞。神楽歌の「昼目歌」と呼ばれるものの本歌からきています。
ここに出てくる「昼目の神」は天照大御神を表すと言われています。天照大御神を祀る有名な神社といえば伊勢神宮(内宮の方)ですよね。
伊勢神宮には三種の神器のひとつである八咫鏡があることでも有名です。そしてこの三種の神器繋がりで、草薙剣御神体とする熱田神宮天照大御神を祀っています。
正確に言うと熱田神宮の祭神は天照大御神という名前ではなく、熱田大神と呼ばれているのですが、この熱田大神草薙剣に宿った天照大御神天照大神)を指します。
神器のひとつである剣に宿る神、ってめちゃくちゃ刀剣男士と相性良さそうじゃないですか???
その剣にまつわる神を留めたいって言うんだからこいつぁエモい。


あと、曲名の「神遊び」ですが、これにも天照大御神が関係しているんですよね。
天照大御神といえば天岩戸に閉じこもってしまう伝説が有名ですが、この天岩戸を開けて貰うために天鈿女が舞を踊ってフロアを熱狂させたのが神楽の起源とされています。
民俗学者折口信夫は神楽の起源について、

神楽と言ふ名は、近代では、神事に関した音楽舞踊の類を、漠然とさす語のやうに考へてゐる。

さう言ふ広い用語例に当るものとして神遊(カミアソ)びと言ふ語があつたのである。一体日本古代の遊びとか舞ひとか言はれるものには、鎮魂の意義が含まれてゐる。

「神遊」は、神聖な鎮魂舞踊とか、或は神自ら行ふ舞踊(アソビ)とか言ふ意味らしいのである。其神遊びの一種として、平安朝の中頃から宮廷に行はれ始めたのが神楽で、最初は「琴歌神宴」と称して、大嘗祭の一部分の、夜の行事から出たと言ふ説が、有力になつてゐる。

(引用:折口信夫 神楽記 [青空文庫])

と自身の著書で述べています。
つまり、「神遊び」という語が「神楽」という用語が出てくる前に、神聖な鎮魂舞踊を指していて、更に古来から「遊び」や「舞」という言葉には鎮魂の意義があったということです。
そうなると、この歌が始まる前に鶴丸が叫ぶ「さあ歌え、さあ遊べ!」というセリフも、神聖な意味があるのだと読み取れます。
また、天照大御神の天岩戸伝説は神楽の演目にもなっているのですが、この演目でも口上に「神遊び」という言葉が出てきたり。
新しい付喪神が権限するためには、現世と幽世を隔てるもの(岩戸)を開かなければならない。これはそのための「神遊び」なんじゃないでしょうか。そして隔てるものが無くなったその先は神域。だから「覚悟はあるか」と問い掛けられるのかもしれません。

 

 

 

♦歌を紡ぐ順番がエモいという話

この「どんな善いことをしたら天照大御神をこの現世に留めておけるだろう」という歌いだしに対して、刀剣男士達は忌火を起こし、筆を持ち、歌を綴るんです。無理やり開けようとしてない。ちゃんと想いを込めた言の葉を届けようとしてる。
そして先陣を切るのが判者である鶴丸に対し、次を担うのが石切丸と小狐丸なのもウワーーーー!!!ってなりませんか??!三条ーー!!!
現在は病気平癒の力を持ち御神宝とされる石切丸と、かつて稲荷明神の眷属が三条宗近の願いを聞き届け相槌を打ったことで出来たとされる小狐丸。どちらも人を助ける力を持っていて、神社に縁のある刀。その二振りがここで歌う意味は有り余る……って感じです。
今剣も講師だしこの二振りは神に近いし三条本当に神々しい。三日月宗近岩融もここに居たら更にネタがぶっこまれていたことでしょう……。

 

 

 

♦昼目歌と忌火

ところで「昼目歌」って普段はやらない秘曲なんですけど、どんな時に披露される(と言われている)かご存知でしょうか。
大嘗祭
歴代天皇皇位継承後に行う宮中祭祀。令和になったばかりの世の中です、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。
昨年5月に皇位継承があり、元号も変わりました。その後、11月に行われたのが大嘗祭です。大嘗祭自体は秘祭なのでテレビ中継されたわけじゃないんですが、これから始まりますよー的なニュースはあったかと思います。
これ、何が珍しいって新しい天皇が即位したその年にしか行われないんですよ。毎年ある新嘗祭とはまた違う。有難いことに平和な世の中ですから、そこまで頻繁にあるものでもない。
そこで披露される(と言われている)「昼目歌」を、この令和になったばかりの世で起用して、独自の世界観で神楽歌に仕上げてるの、控えめに言ってもすごすぎません…????

 

そして歌詞の中にもある「忌火」。これは神事に使う特別な火のことを指しています。今回の歌合では交わした歌をこの「忌火」の中へくべて神降ろしをする。だから「たやすことなかれ」。
あと、大嘗祭の時って祭殿(大嘗殿)を毎回新しく建て直してるんですが、この時(建て直す時の地鎮祭)にも忌火が使われます。
この忌火は8人の童男童女が持つんだそうです。儀式の詳しい内容は調べるとたくさん出てきますが、8という数字が頻繁に見受けられます。
8は八百万の神々に通ずる数字。八つの炎、八つの苦悩。これについては後編で触れたいと思います。

 

 

♦更なる邪推

あと歌詞を更に邪推すると、

  • 炙り出される本性→小狐丸の表と裏
  • 曝け出される欲望→こんぺいとう
  • 秘められた想い→軽装3人衆と椿油に込められた祈り
  • 脅かされる秩序→明石の梅の話(いろいろ怖い)
  • 超えてはならぬ一線→青江の雨月物語(生者と死者の交わり)
  • 神々の影踊る→石切丸の話で皆(付喪神)がお百度参りをする様

なんじゃないのかなとか……思いました……諸説あるがの!!!!!!!
サビの歌詞も、和歌のテーマである四季と恋を散りばめていて美しかったです。
最後の各刀剣男士の対峙するポーズにも何かしら意味がありそうだなと思いました(わかったわけではない)。

 

それから、奉踊も、神遊びも、夜を舞台としているんですよね。だから薄暗い中でやる。それがまた神域に繋がる空気を作る。
夜は昔から神や妖を含め、人ならざるモノが蔓延る幽世とされることが多いので、こういう祭事・神事が行われるのもほとんど夜です。
そして人ならざるモノは往々にして、夜明けとともに消えてしまう。そんな神々を引き留めたいという古来からの願いが昼目歌には込められていると言います。*2
ここまで一気に書いてすごい息切れしてるんですけどまだ2曲目なんですよね???!!!どういうこと???!?!?

 

 

 

 

 

 

 

懐かしき音

 

天地の神を祈りて我が恋ふる

君いかならず逢はずあらめやも

万葉集・巻十三 よみ人しらず)

訳:天地の神々にひたすら祈ったのだから、恋しいあなたに私が逢えない訳がないでしょう。

 

 

 

 

♦それぞれの「聞き覚えのある音」

最初見た時「な~んだ、イケメンが集まってほのぼのしてる話か~。花丸みたいだ~^^」とか思ってた自分を叱ってやりたい。
この話の主軸が石切丸なのは大きな意味があるわよ……おわかりになって……?
ライビュで見た時大画面いっぱいに小狐丸の脇が映って興奮したことだけは正直に告白しておきます。
石切丸が聞き覚えのある音の正体を探す話なわけですが、ここに色んな刀剣男士たちが関わってきます。
特筆すべきは御手杵。こやつ、石が擦れる音を聞いて「その音!!」ってすごいハッとした表情をするくせに唯一結論を言わずに去っていく。
なあ、何に聞こえたんだ……なあ……焼夷弾で焼かれた蔵で火の粉がはぜる音か……?し、しんどい……。
葵咲で「夢」と聞いてあんなこと*3を思い出してしまう御手杵ですよ。考えてしまうだろこんなの……。
対して大俱利伽羅の「鉛玉の爆ぜる音だ」がドストレート。戦道ひとり行く漆黒の竜だ……。

 

集った皆が思い思いの行動をとるなかで石切丸が思い出すのが「玉砂利を踏みしめる音」っていうのがもう……落としどころが素晴らしすぎる……。
病気平癒という人々の願いを聞き届けてきた刀が、いつも聞いていた「懐かしい音」。人々の想いに寄り添う刀としての記憶。それが、参道で人々の穢れを払うとされる玉砂利の音なんですよ。
石切丸ははっきりと「戦が好きではない」と口にする刀です。阿津賀志でも、三百年でも、そしてこの歌合でも。
戦うことよりも祈ることの方が多かったからこそ、流れる血を許容できない。この葛藤と矛盾は三百年の子守唄の肝でもありました。
戦で散ったすべての人々のために祈り、背負い、戦う刀。それが今のミュ本丸の石切丸です。
守れなかった者の墓前で自分の無力さを嘆き、歴史を守るために殺めていい命はないと悲しく笑って悲しい役目を背負った彼が、懐かしいと感じるのが「人々が祈りを捧げる玉砂利を踏みしめる音」なの、やばくないですか……。ずっとずっと、石切丸は祈ってるんだなって……「戦のない世」を作る為に戦って……。
そして此処に石切丸の心情を察して言葉にできる青江ではなく、かつて吾平のことでぶつかった大倶利伽羅と、信康の件でぶつかった物吉くんがいるのもいい。


石切丸が口ずさむ歌に「いつか見た夢を いつか泣いた夜を いつか誰かの為に叫んだ声も」って部分があるんですけど、この「誰か」はあの時守れなかった信康のことじゃないかなと思っています。いや本当は生きてますけど、でも松平信康はあそこで死んだことになってるじゃないですか……。でも、このことを悔やみ続けるわけではなく、石切丸は懐かしんでいる。すべて背負って行くと決めているから。
そういうのも全部ひっくるめて、石切丸が守りたいものが目に見える形で表現された話だと感じます。何気ない日常、生きる音が穏やかに行きかう時間。それは当たり前のようでいて、本当はとても貴重な時間。なんて優しい話なんだ……。

 

 

 
付喪神たちの祷歌

篭手切くんと御手杵が持ってきた石の周りをお百度参りする刀剣男士たち。これまで様々な歴史に関わってきた彼らが、それぞれの祈りや願いを持っているのがわかるから、その姿は微笑ましくて、ちょっと切なくもあります。
いくど願えば、なんど祈れば、届くのか、叶うのか。わからないけれど、それでも祈る。一歩ずつ、一歩ずつ。人間みたいに。
このお百度参りに一振りだけ参加せず、対岸でずっと畑仕事をしている刀がいました。そう、大倶利伽羅です。
初めて見た時、ちょうど大倶利伽羅側の座席に居たので「なんで参加しないんだろう……慣れ合うつもりがないのはわかるけど……誰か誘ってあげなよぉ……」と思って彼の仕事ぶりを見ていました。でもその意味が今ならわかる。
あの畑仕事は、大倶利伽羅の祈りを込めたお百度参りだったんですね。一心不乱、一意専心。土に肥を混ぜ、野菜の状態を見て、枯らさないように、よく育つように。
倶利伽羅は大倶利伽羅なりに信康と吾平のことを背負っている。だから彼らが愛した畑仕事を真剣にこなす。いつかそれが、戦のない世の中を作ることに繋がるかもしれないから。
この大俱利伽羅のくだりが後半の徳川家パートの序盤でも出てくるのずるくないですか?!泣きました。
いつか祈りが届いたら、吾平のお墓に花を供えにいこうね、大俱利伽羅。

 

あと、お百度参り中に持ち寄った石がお地蔵様だと判明した時、「とっても素敵な笑顔です!」って物吉くんが言うんですよ……。
かつての主を救い、育て、共に戦い、そして看取った彼も、三百年で葛藤してきた刀です。笑顔の大切さ家康と信康に教えたのも物吉くんです。
笑顔が幸運を運ぶことを知っていて、幼い家康や信康が下を向いたときも一緒に笑ってあげていた、鳥居元忠の面影が見えて画面が滲む……序盤から涙腺が死んでるんですがどういうことですか。
天地の神を祈りて我が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも。いくども願って、いつか叶うと信じて、それぞれの想いを胸に進んでいく。
これは三百年の子守唄を経た彼らの成長を見せてくれる話だったんだなあと、やっと理解できたような気がしました。
 

 

 

 

 

 

 

根兵糖合戦

 

世の中は夢かうつつかうつつとも

夢とも知らずありてなければ

古今和歌集巻・第十八 よみ人しらず)

訳:この世が夢なのか現実なのか、現実なのか夢なのか、それはわからない。何せ、この世というものは存在しているけれど、存在していないものなのだから。

 

 

 

 

♦夢だけど夢じゃないヤツ

歌合の中で屈指の笑いを掻っ攫ったこの話。例にもれず私も大爆笑しました。
圧倒的意味不明さとそこにぶちこまれる蜻蛉切の激うまソング。テンポも良くてインパクトも絶大。
村正がいるとフォロー役に回ることが多い蜻蛉切、一人だと結構天然なのでは?!と微笑ましくなりました。
あと劇中歌めちゃくちゃいいメロディなのに歌詞で笑わせてくるのもずるい。豆知識:槍はスタンドマイク代わりになる。

 

笑いすぎて疲労こんぺいとうですが、「実はあの話、目が覚めたように見えて最初から全部長期任務中の蜻蛉切の夢なのでは?」という話がTLに流れてきて後から刺されました。
た…確かに……次の青江の話でも、村正と蜻蛉切はまだ任務中であることが明言されている……。つまりこれは葵咲~三百年ラストまでの間の蜻蛉切なのか……。


本多忠勝として生きる蜻蛉切は、史実に添って誰よりも長くこの長期任務に当たらなければなりません。葵咲で一緒だった村正も井伊直政としては先に離脱してしまいます。
(葵咲では姿の見えなかった大俱利伽羅…榊原康政関ヶ原以降、家臣として家康との距離が離れてしまったという史実があるので顔を見ることも少なくなっていたのでは?と推測)
最後に残された蜻蛉切が、戦に出ることも少なくなってきて、孤独の中で見た夢だとしたら……?
常勝無敗の本多忠勝関ヶ原以降、急激に出番が少なくなります。なぜなら戦がなくなっていくから。それは家康が目指した泰平の世であり、守るべき正しい歴史です。蜻蛉切も元主の生涯については理解も納得もしています。
それでも、だんだんと自分の出番がなくなっていく様を実際に体験したら、やはり武人としては切なく心細くなることもあるのではないでしょうか。
戦う事で役に立っていたのに、もうそれもできなくなってしまったら、かつての存在意義に思いを馳せてあんな夢を見てしまうこともある……はず。

 

 


♦CONFEITOに込められた意味

金平糖は戦国時代にポルトガルから伝来したお菓子で、当時は身分の高い者しか手にできなかった高級品です。織田信長も宣教師のルイス・フロイスから贈られた金平糖をたいそう気に入っていたそうです。
当時の金平糖1粒の価値は山城2つ分とも言われています。どんだけすごい価値なんだ。砂糖の生産量が限られていたので当然といえば当然なのですが。お金持ちはその権力の象徴として砂糖菓子を贈りあっていたとも。
なので、戦国武将として金平糖を預かっている、というのはかなり功績と信頼がある証なんじゃないでしょうか。
天下取りに名をあげた徳川軍の部隊長を務め、更に主君から評価され金平糖を預かる。武将の誉れともいえる待遇です。本多忠勝の全盛期って感じですね。

 

金平糖の伝来時期も三百年の時代と合っています。信長がルイス・フロイスから金平糖を贈られたのは永禄12年(1569年)とされていますが、ちょうどこの頃、家康は信長と同盟を組んでいます。
つまり、この後の活躍によって、同盟相手の信長から金平糖を贈られた可能性が大いにあるということです。
ちなみに、信長が金平糖を手に入れた翌年である元亀元年(1570年)には姉川の戦いが勃発します。攻め入る浅井・朝倉軍に対し本多忠勝が単騎駆けをし、織田・徳川軍を勝利に導いた姉川の戦いは、三百年でも蜻蛉切の見せ場として描かれていました。
あのシーンはいつ見ても鳥肌が立ちますね……敵軍でなくとも気圧されるほど強い蜻蛉切の歌声と気迫。大好きなシーンです。
常人では到底できない活躍をみせた本多忠勝です。家康から褒美として金平糖を貰うことだってあったはず……。
金平糖の歴史から、あの蜻蛉切の夢は三百年~葵咲にいることがほんのり香ってきます。日本史の授業かな???

 

また、ゲーム内でも根兵糖(金平糖)はレベルアップ用の便利道具として扱われています。経験値が渋いゲーム内では重宝しますが、いつでも大量に貰えるわけではない便利道具です。
景趣交換用の季節物がすごい余ってる場合は省いて、普通に手に入るのは内番の手合わせ終了後(それも確率)と刀剣男士の乱舞レベルが4になった時だけ。割と高級品の部類に入ると思います。
そんな自本丸でも高級なものを預かる部隊長って、かなりの功績がなければできないんじゃないかなと。
つまりこれは、二重の意味で功績を認められたいという願いや過去(武勲をたてた戦のことや暫く帰れない本丸のこと)を想う夢だった……????
でも家康が天下を統一して本多忠勝として戦いに出られなくなることも、本丸にはまだ帰れないことも、すべては任務を達成するために必要な痛み。そのモチーフとなった根兵糖(金平糖)は「未来に繋がる結晶」なんですよね……。
帰ってきた蜻蛉切をみんなで抱きしめてあげて欲しい……本編ではもう帰ってきてますけど……!!!!
単なるギャグで終わるかと思ったのに考察したらめちゃくちゃ深いじゃん怖いよ……これはこんぺいとうですね……。

 

 

 

 

 

 

 

ライブパート 其の一

♦mistake

最大人数でmistakeを犯しにきたーーーー!!!!!後方ステージのお立ち台に立つ御手杵スカイツリーよりでかいから正にタワーの明かりも消える頃です。
そして前方ステージに見えますのはツインタワーの一角、和泉守兼定でございます!!!!股下万博開催中!!!!!
大千秋楽mistakeの兼さん完璧に完璧を重ねていましたね。1番サビ終わりの唸り声(ヴゥン!)と表情が誉すぎました。ちょっとおっさんぽいけど可愛い兼さん、あれで何億人の審神者の心を射抜いたんだろう……。
そして御手杵、初mistakeのはずなのに色気をモノにしていてやばかったです……なんだその悩ましい表情は。審神者しっかりその魅力に串刺しにされてしまったよ。
攻めっ攻めの三条。強すぎる。ダンスパートで後ろのモニターつかって万華鏡みたいになってたのも圧巻でした。これはmistake犯してしまう。

 

 

 

♦Impulse

刀ミュに出逢えて良かったと思える曲ベストスリーに入るこの曲。まず原曲が好きすぎるんですが歌合の組み合わせもすggggっごかったですね……。
二振りの歌がうますぎてあまりの衝撃に初見の歌合の記憶ほぼこれなんですよ。ほんとに。
中の人の話になるんですが、鶴丸役の岡宮くんが一番緊張したのこの曲だって聞いて崩れ落ちました。そうだよね……蜻蛉切に対する村正のポジションってどんだけプレッシャーだよ……。
蜻蛉切役のspiさんと村正役の太田さん、この二人の歌声の相性の良さってお互い最大出力でも食われないからぶつかり合う様が美しいところにあると思ってるんですよ。
デュエットはどちらかが強すぎると成立しません。バランスが悪いと心地良いハーモニーにならないから。お互いの落としどころをうまく見つけなければならない、共同作業の極みみたいな感じ。
対してこの二人はどっちも強い。しかも違うベクトルの強さのぶつかり合い。だけどお互いをうまく引き立てる柔らかさもあって、とにかくバランスがいい。
三百年初演から積み重ねてきたコンビネーションの結晶ともいえるこの曲を、村正の真似ではなく、鶴丸として蜻蛉切の隣に立って歌い上げていた。岡宮くん、本当にすごかったし、素晴らしかったです。
葵咲でも実装直後で村正との掛け合いパートをこなしてたし、歌合でもアジテーター務めてて、しかも蜻蛉切の歌にのまれずのびやかに歌ってたし、なんなら実装直後にソロあるのも蜻蛉切と堀川くん以来だからそれだけ歌声の魅力が強いってことだし、刀ミュくんまた一人やべー役者見つけてきたな……って気持ちでいっぱい。ありがとうございます。

 

 

 

♦Stay with me

はい今からここは名のあるバーレスクです。
セクシーとキュートを同時に持ってくるんじゃないよ……審神者のキャパシティなんだとおもってるの……??!!!
巴にセクシーチェアダンスをさせることを覚えてしまった本丸だから生き残れるはずがないんですよね。
でも実はオリジナルメンバーであるはずの石切丸が一番セクシーデリバリーしてるの怖くないですか?機動が上がれば上がるほど、どんどんセクシーになっていく……ここは打撃値がセクシーとキュートに変換される世界……。
あと2番のBメロで向かい合う小狐丸と石切丸が可愛くて永遠に見ていたかったです。
狐「その意味がわかるのは」石「今日や明日じゃないかもね」狐「(なるほど!と頷く)」 なるほどここが楽園か~^^^^
そして2番サビを蜂須賀にやらせようと考え着いた人は正直に手を挙げてください。個別でお金を包みたい。
蜂須賀のアカンベーが可愛すぎて心臓止まるかと思いました。あの瞬間世界一の美少女美青年だった……危うく神降ろしするまえに入滅するところだったのだわ……。

 

 

 

 

幕間

ここで漸く気づいたんですが、初めて歌合を見た時の記憶がほぼこの序盤で埋め尽くされていたんですね。どんだけ衝撃的だったんだ。
情報量と刺激が多すぎる。沼っていうかもう規模が果てしない海。世界掴んじゃう。
そして文字数がすごいことになっているわけですよ。なんだこれは??まだ序盤だが??
ここから先も書きたいんですけど、そうしたらいつまでも終わらなくてお蔵入りになりそうなので、まずここまでを前編としてアップします。いわゆる尻叩きってやつです。
前後編にしようと思ってたけどこれ中編も必要ですね。いよいよ卒論みたいになってきました。まだ刀ミュという世界に入学したばっかりなのに。
音楽と国語と民俗学と宗教と愛がいっぱい詰め込まれてて楽しくて仕方ないので、歌合の円盤はやくほしいです。毎日見たい。

 

ここまでお目通しいただきありがとうございました。
色々おかしなところはあると思いますが、刀ミュ初心者の独り言、つまりは個人の感想なので温かく見守っていただければ幸いです。
では中編でお逢いしましょう。

 

 

 中編はこちら

mugs.hateblo.jp

 

 

 

※2/1 曲名のスペル間違い修正(英語の勉強をしたほうがいいで賞受賞)

*1:新古今和歌集の序文。これについては後編で触れたいと思います。

*2:引用:「楽土自ら昇天すること」(折口信夫 古代生活の研究 常世の国青空文庫])

*3:削除された放置ボイスのあれ