これは水です

これは水です

言葉の流れに身を任せながら

生まれた理由を問い続ける歌 ~歌合 乱舞狂乱 感想と考察(中)

 

皆さんこんにちは。前編に続き今回も歌合の個人的な感想とか考察をドバドバ書き殴っていきたいと思います。
脳内HDDに保存している歌合の記憶が薄れぬうちに…鉄は熱いうちに打たなければ…。
ちなみに前編はこちら。

 

mugs.hateblo.jp

 
書いてる最中は最高にテンションが上がっているんですが、いざ公開すると「誰が楽しいんだこれ……???」という疑問に苛まれます。
まあ答えは決まってるんですけどね。私だよ。
という訳で、今回も蛇行に蛇行を重ねて好き勝手に書き散らしておりますゆえ、お時間がある時にお付き合いいただければ幸いです。
  

 

 

 

 

歌合 乱舞狂乱 中編

既に前半の時点で情報量がやばいのですが中編もその手が緩まることはありませんでした。審神者のキャパは東京ドーム何個分だと思われてるんですか?大演練ですか?
最大火力でずっと殴られてる。そして打ち込まれる新たなナンバー(和歌)……昼目の神も乗るしかない、このビッグウェーブに……。

 

 

 

  
 

 


にっかり青江 篝火講談〜夏虫の戯れ〜

 

夏虫の身をいたづらに成すことも

ひとつ思いに なりてよりけり

古今和歌集・五四四 よみ人しらず)

訳:夏の虫が火に飛び込んで身を焼かれることも、私が恋に身を焼かれることも、同じ「思ひ(火)」に因るものなのだなあ。

 

 

 


♦講談師・にっかり青江

まさかそうくるとは。この一言に尽きます。
最初後方ステージに青江が出てきた時は、後から誰か正面ステージに出てくるんだろうと思っていました。まさか一振りでやりきるとは。
しかもそのスタイルが講談ときた!!言葉と表情、そして声音。すべて1人で物語を語る講談師。それを刀である青江がやる。「物が語る故、物語」の極みじゃないですか。
青江が一振りで、それも怪談を語るというのは、2017年の真剣乱舞祭を思い出させるものがありました。歴代らぶフェスの中でも一番好きな演出だったので気づいたとき鳥肌が立ちましたね……。

 

講談というのは戦国時代の御伽集を経て、江戸時代の大道芸にあった辻講釈から始まったと言われています。江戸末期から明治初期にかけて大ブームを迎え、歌舞伎や浄瑠璃と交わりながら発展した伝統芸能の一つです。
講談には様々な演目が存在し、それらは大きく「軍談」「御記録物(御家騒動物)」「世話物」の三つに分けられます。

  • 軍談 … 歴史的に有名な合戦を題材とする。「太閤記」「太平記」など。
  • 御記録物 … 将軍家や大名といった有名人にまつわる伝記のこと。これが変化したものが御家騒動物」と呼ばれる。代表的なのは「赤穂浪士伝」。
  • 世話物 … その他の幅広い演目に当てはまる。怪談は有名な世話講談のひとつ。

昔から「講談師、冬は義士、夏はお化けで飯を食い」と言われるほど、講談師は冬は赤穂浪士伝、夏は怪談を演目としてきました。
それほどまでに代表的な演目の一つである怪談を語ることについて、講談師としては初の人間国宝である一龍斎貞水師はこう語っています。

 

世話物は人物を細やかに語り出すことが特徴で、世話講談が上手い人は人物を語るのもうまい。
怪談話でも、登場人物のデッサンをはっきり語り出すことが大事なんですよ。それがないと怪談にならない。
哀れな人はうんと哀れに、悪い人は極悪非道で語り出す。そういう人間を語ることで怪談は成り立つんです。
(中略)
芝居とか音楽はもう内容が決まっていますから、会場が変わろうがお客さんが変わろうが、一度作ったものはやり方を変えません。
ところが、講談は一人でやっていますから、同じ話をするのでも、会場や客層を見て、ちょっと話の切り口を変えてみたり、演出を変えてみたりする。
そういう風にお客さんと一緒に話を作っていく。だから寄席の芸は生きた芸だといわれるんですね。
寄席の客席はフラットに明るくするんですけど、怪談の時だけは暗くするんです。
そうすると、お客さんの顔が分かりません。
お客さんとのキャッチボールは息づかいだけでやらなくちゃならない。
そういう面でも、講談の怪談は難しいんですよ。 

 

引用:人間国宝 講談師・一龍斎貞水が語る怪談の世界(取材・文 村上健司)《怪 vol.31 20101129 角川書店》P200〜201

 
そう、講談も、そして怪談も、決して簡単なものではないのです。人物の描写を、言葉で、声で、表情で細かく伝えなければならない。
2017年のらぶフェスではメインを務め、最後の話を担当した青江。あの時の空気を塗り替える様も見事でしたが、今回は更にその上を行っていました。
ミュ本丸に於けるにっかり青江の懐の深さ、そして演者である荒木さんの表現力の幅広さ。その全てが高次元で重なり合い、誰も見たことがない化学反応を起こしている様は本当にすごかった。
この講談は、加州清光単騎、髭切膝丸双騎に並ぶ刀ミュの新たな挑戦だったと感じます。その瞬間を目撃できたのは幸せでした。

 
 

 

雨月物語について

「交は軽薄の人と結ぶことなかれ」
青江の講談はこんな戒めから始まります。軽薄なものは価値がなく、長続きもしないので交わるべきではない。それに対し、軽薄について納得しながらも、交わることへの羨望を語る青江。
隆起された付喪神として歴史を守るという役目を当たり前のようにこなしているけれど、彼らにも心があり、個々の考えがある。道具ではなく人の身を持って顕現した刀剣男士は生きている。そう感じる言葉の数々。
生きているけれど、交わることはできない。人との違いを理解しているから羨望を抱くのでしょう。
青江は線引きをはっきりする刀です。寄り添えるところと、分け合えないものを理解している。でもそれは決して諦めている訳ではなく、分け合えないものに触れてみたいという気持ちはあるんですよね。
心と現状を切り離せる理性を兼ね備えているだけで、冷徹という訳ではないんです。青江の語る物語にはそういった人間味があって惹き込まれるのだと思います。

 

さて、この講談で青江が語ったのは『菊花の約』……上田秋成の『雨月物語』に収録されている短編怪談です。
この雨月物語は江戸時代に出版された読本のひとつですが、怪談という括りを超えて各話の完成度が高く、近代文学作家である芥川龍之介谷崎潤一郎に影響を与えた作品です。
現代作家として有名な村上春樹も『海辺のカフカ』でこの雨月物語をモチーフとして取り入れていました。これについては『羊をめぐる冒険』から取り入れているという意見もあります。
そもそも村上春樹は幽霊や怪談を好み、上田秋成の作品を名作として挙げることもあるほどです。『七番目の男』という本格的な怪談も執筆しています。
日本の古典文学には数多く怪談が存在していますが、雨月物語はその中でも代表作とされているのです。

 

中国の白話小説(口語体の文学作品)をモチーフとしたこの雨月物語は、9つの怪奇短編集で、各話の一部要素がそれぞれ関連して円を描くような構造になっています。
また話中で怪異との邂逅シーンに差し掛かると雨と月に関する情景描写が差し込まれるのも特徴的です。
今回青江が語った『菊花の約』では、山の端に月が隠れる=闇が深まった場面で幽霊となった宗右衛門が左門の前に姿を現します。
これは完全に邪推なんですが、月にまつわる描写、というのが刀ミュの本編に関連してきそうな予感がしませんか……ねえ三日月宗近……。
今回は月が隠れた常闇での出来事なので直接関係があるというより、見守る月もない夜は彼岸に近くなるとか、そういう感じかもしれません。
この辺もらぶフェス2017の青江と繋がっているのかなと。だって、蒼然百物語は新月の夜に語られる仄暗い話」ですからね。月が出ていないんですよ。

 

 


重陽節句と白い菊

『菊花の約』に出てくる重陽節句は旧暦9月9日に定められた五節句の一つです。そも、節句とは中国の陰陽思想に基づいて設定された節目の日を指します。
陰陽思想では奇数を陽、偶数を陰とし、奇数が重なる日を節句としています。*1
特に9は旧暦の奇数の中でも最大値=陽の気が一番大きいと考えられており、「陽」が「重なる」として「重陽」の名がつけられました。
重陽節句は邪気払いの他に、長寿と健康を祈願していました。昔は五節句の中でも重陽節句が重要視されていたようです。
その重要な節目の日に必ず帰ると約束した宗右衛門。そしてそれを待つ左門は白菊を生け、薄酒を用意して兄の帰りを待ちます。帰ってきた兄と、互いの長寿を願うために、菊酒を交わしながら話をしたいと思っていたのでしょう。

 

菊は桜と並んで日本の国花とされていますが、元々は中国から伝わった薬用植物のひとつでした。
伝来時期については諸説ありますが、平安時代には既に定着していたとされます。鎌倉時代には後鳥羽上皇が菊をモチーフとした紋を身の回りのものに施し、後にそれが皇室の紋章(菊花紋章)とされたとも。
平安時代には「菊合」といって、左右二組に分かれて白菊を出し、それに歌をつけて競う遊びもありました。そうです、歌合とほぼ一緒です。
しかし、なぜ“白”菊なのでしょう?
古来の日本文化においては、「紅色」が美しく、「紫色」が高貴な色とされていました。聖徳太子が制定した冠位十二階の一番上は紫色ですし、『万葉集』で多く読まれた色は紅色です。
しかし平安時代以降は文化の変遷と共に派手な原色よりも、薄い色の方が重視されるようになります。特に白は美しく清浄な色とされ、女性の化粧(おしろい)にも使われるようになりました。
また、昔から「色」を作り出すために植物を染料として使っていましたが、この染料だけで純粋な白を作ることは大変難しいことでした。
そもそも「古事記」から白は赤・青・黒と並んで表記されていますし、白鹿や白猪など「神の使い」を表す色でもあります。こういったこともあって、白は希少価値が高いとされ、菊合などの行事でも使われるようになったのではないでしょうか。(自信はない)
今回の歌合で皆が身にまとう白狩衣もそうですね。狩衣は平安時代の朝廷制服でしたが、白狩衣は清浄を表す「浄衣」なので神事に参加するのであれば身分問わず身に着けることができます。これは嚴島神社の奉納公演でも同じでした。
付喪神である刀剣男士達が神事してる姿ってほんと……いいですよね……なんて美しいんだろう……。

 

 


♦刀剣男士と愛別離苦

「人一日に千里をゆくことあたはず 魂よく一日に千里をもゆく」
故郷で捕らわれの身をとなった宗右衛門は、左門との約束を果たすため、自害をして幽霊となり姿を現します。
大切な人との契りのために死をも厭わないその姿勢は、宗右衛門を捉えた人々の軽薄さを強調しながら、見る者の涙を誘います。
青江が語るこの物語で重要なのは、宗右衛門の魂が人魂の形を取らず、かつての宗右衛門の形を保っていたことにあります。
冒頭で青江が語る「人魂と幽霊の違い」を覚えていますでしょうか。
曰く、人魂は「彷徨い果てて形をなくした思念」ではなく「まだ何物にも染まっていない純粋な思念」であると。
曰く、幽霊は「執念深くこの世にしがみついた結果、【こうでありたかった姿】がはっきりしているモノ」であると。
宗右衛門は左門との約束を果たしたかった。約束を果たすことを己の使命とすら考えて自害を選んだ。その想いが、かつての宗右衛門の姿を作っている。
つまり、想いが強ければ強いほど姿かたちが隆起され、幽霊となる。この構造は刀剣男士の在り方に通ずるものがあります。
彼らは元が神なので幽霊にはなりませんが、強い想いに姿かたちを隆起される点は似通っています。
そして顕現したその形をこの世に留めているのは「歴史を守る使命を果たす」という彼ら自身の想い。
「守りたい」という想いが強くなればなるほど、その姿かたちがはっきりとして、特がついたり、修行に出て極になってくるのではないでしょうか。
また、刀剣男士たちは顕現したことで心を得て、その不安定さに戸惑う場面が多々あります。道具であった頃とは感じ方が段違いなので、その落差に追いつけないのです。


「心のこと。あまり無理をすると…壊れてしまうんだって」
これは三百年の子守唄で、使命と感情の間で揺れる物吉くんへ青江がかけた言葉です。
初めて得た心は柔らかく繊細で、いわば人魂に近い存在なのかもしれません。欲望が幼く、愚かで、純粋なのです。
かつての主を救いたい。歴史に殺された人を守りたい。「守りたい」という気持ちの純粋さ。けれど、その心に従えば使命を果たせない。
優先すべきはもちろん使命です。彼らはそのために存在している。ですが、人の身を得た以上、生まれた感情を無視し続ければ体より先に心が壊れてしまいます。そしてこの心は、どんなに辛くても手に入れてしまった以上、捨てることができない。
だから、自分の心に生まれた感情を、使命と照らし合わせてどう納得させるかが、彼らにとっては大きなテーマとなります。悩んで、苦しんで、でも諦めないで、最後に前を向いて自分の選択を誇れるように。
この辺は、四苦八苦のなかでいうなら愛別離苦に当てはまるのかなと。ミュ本丸の本筋とも繋がる気がします。
彼らも、そして幽霊も、同じ「思ひ(火)」に焼かれてこの世にいるのは変わりない。
最後の「うん、僕もそう思うよ」という青江の答えは、そんな自分たちの心を重ねていたんじゃないかなと感じます。

 

 

 

♦菊花輪舞から見る死生観

講話の最後に青江が歌う「菊花輪舞」はその名の通り、菊の花を輪に見立てている歌詞が印象的です。これは冒頭で書いた、『雨月物語』の各話の一部要素がそれぞれ関連している構造=円を描く構造と、『菊花の約』自体の序文と結びが繋がっているのをイメージしていると考えられます。
そして、ここにはもう一つの要素、人の生き死にを花に喩える仏教思想が込められているのでは?とも考えました。
花が種から芽を出し、茎をのばし、実を結ぶ(咲き誇る)様を人の一生と重ね合わせ、地道に成長を重ねた末に悟りを開くことを理想の一つとする仏教。
咲いた花が散って枯れていく様は人の死を連想させます。美しい花もいつかは散るように、生きているものはいつか死ぬ。これは仏教における無常観と通じています。
しかし、花は枯れた後に種を残すものです。そしてそこから再び芽が出て花が咲く。この繰り返しは、仏教の輪廻転生*2を思わせます。
仏教では人の生死と花の一生が深く結びついていると言っても良いでしょう。


「菊花輪舞 くるくる廻る
 菊花輪舞 散り散り契り
 咲き乱れよ 散り乱れよ」


ここで言う「咲き乱れる」ことは悟りを得るというよりも、本懐を遂げるという感じでしょうか。
花びらが重なり、渦のようにみえる菊花のごとく人の縁は廻り、交わり、契り、千切れていく。咲き誇った先にあるのは散りゆくさだめ。
約束を果たせず生きながらえるよりも、死んでも左門の元へ戻ることで宗右衛門は本懐を遂げて消えていきました。左門は悲しみのあまり一晩中泣き続けた、というところで青江の講談は終わります。
原作ではこの後、左門は宗右衛門の故郷まで出向き、領主に命じられ宗右衛門を捉えた者(宗右衛門の従兄弟)へ兄の誠実さを語り聞かせたのちに、その者を斬り殺し逃走します。仇討を果たすのです。
逃走した後の足取りまでは描かれていませんが、兄である宗右衛門を失った左門の本懐はこの仇討にあったのでしょう。
部下を殺された領主も、そこまでして約束を果たした宗右衛門と、兄の誠実さを想って仇討を果たした左門の絆の強さに感服し、左門を追うことはありませんでした。そして、「ああ、軽薄なものと交わりを結ぶべきではない」という言葉をこぼしたところで、物語が終わります。
「交は軽薄の人と結ぶことなかれ」という言葉で始まった物語は、「咨軽薄の人と交は結ぶべからず」という同じ意味を持つ言葉で終わるのです。
最初と最後が繋がることで物語が円を描く様は、美しくも物悲しいものがあります。

 

講談が終わり、歌を詠む直前。青江はこうも語ります。
「触れられぬものを恐れるよりも、この身に触れるものの毒をゆっくり味わいながら、惜別の喜びに身を任せるよ」
この「触れられぬもの」は恐らく「いつか来る別れ」を指しているのでしょう。会者定離。出逢いは別れの始まりという、愛別離苦に繋がる思想です。
「惜別の喜び」というのは矛盾した表現に聞こえますが、「別れを惜しむほど大切に思い合ったことを感じたい」とも取れます。
「思ひ(火)」に焼かれること。それが心を得た自分に許された「交わり」である、と。


火といえば、人魂は「火の玉」とも呼ばれます。火に和歌をくべることで神降ろしを行う歌合。ここで人魂が出てくるのにも意味があるのでしょう。
日本風俗史の基礎を築き、妖怪変化についても研究していた江馬務は著書『日本妖怪変化史』の中で以下のように人魂についてまとめています。

 

世の中には「天火」「地火」「人火」といって火に三種あり、「天火」は星精の飛火、竜の火、雷の火で、木を切り石をすりて出るを「地火」といい、人の魂の火はすなわち「人火」であるが、その火のなかに陽火と陰火とあり、陽火は物を焼くが、陰火は焼かない。

 

引用:江馬務「火の玉」 『日本妖怪変化史』 中央公論新社,1976年,p161

 
物を焼かない火である「人火」である人魂は、和歌をくべて神に届けるための「忌火」と対比されているようにも思えます。
講談の始まりは人魂が四つなのに、終わりには八つになってるんですよね。これは後に出てくる「八つの炎」を表しているのかもしれません。
更に言えば、タイトルと和歌にもある「夏虫」は「火や明かりに寄ってくる虫」という意味がありますが、「セミ」や「ホタル」の異名にもなっています。
「ホタル」って、死者の霊魂とも言われていますよね…。つまり、この「夏虫」……人魂のことでもあるのでは……青江が人魂に対して「いい子だ」っていうのは戯れてるから……?

 



♦余談~花から見る刀ミュ~

これは本当に余談なのですが、仏教と関係する花で一番重要視されているのは何だかご存知でしょうか。
答えは「蓮」です。
泥(不浄)の中から美しい花を咲かせる蓮は、極楽浄土に相応しい花とされています。多くの仏像が「蓮華座」と呼ばれる蓮の花の上に座っているのも、そういった思想に起因しているそうです。
この思想が色濃く出た言葉に、「一蓮托生」があります。これは死後、浄土で同じ蓮の花…蓮の台(うてな)の上に生まれよう、という意味を持ち、固い絆で結ばれた家族や友人・恋人と死後に浄土で逢い、一緒に暮らしたいという願いが込められています。
一つの蓮の台の半分を他の人に分け与える、という意味で「半座を分かつ」とも言います。
「半座分かつ 華のうてな」
この言葉が尚更重たいわけですけれど…………約束は守るさ……。


刀ミュって高い確率で花がモチーフとして出てきますよね。
阿津賀志山では花そのものというよりも、「矛盾という名の蕾」で歌われたように、刀剣男士たちが抱える心の矛盾自体を花に喩えていました。
幕末天狼傳は、メインとなるのは天狼星という星座ですが、主題歌である「ユメひとつ」に「徒花を咲かせたれ」という歌詞が登場します。徒花は実を結ばない花を指しますが、これは志半ばで散っていった新選組の面々を指していると考えられます。
三百年の子守唄でも、幼い信康がトリカブトを持ってきたりもしますし、メインテーマである「かざぐるま」も玩具である風車とカザグルマクレマチス)のダブルミーニングなんじゃないでしょうか。
そしてこの続きである葵咲本紀では、題名の通り葵の花が人物関係の描写に使われています。また、序盤で村正が信康と同じくトリカブトを持っていました。
つはものは言わずもがな、蓮の花。これは阿津賀志山の巴里公演でも取り入れられました。もう蓮の花が出てくるとしんどくて仕方ない。
むすはじでは花そのものではなく、植物が根をはり、葉を生い茂らせる様、そしてそれがいつか枯れてしまう無常を「倒れる終焉」で歌っています。こじつけっぽいけど関連してると思いたい。
刀剣男士たちが関わる、歴史上の人物。彼らの人間としての生き様を花に見立てているように思えるのです。*3

初見の時、一番衝撃的で印象に残ったのがこの青江の講談でした。すごかった。すごすぎて感想が蛇行に蛇行を重ねてしまった。
まだ中編の序盤なんですよね。どういうことなんだろう……。笑顔が一番だよ、最終的にはね……。

 

 

 

 

 

 

 

梅 the Way

 

梅の花折りてかざせる諸人は

今日の間は楽しくあるべし

万葉集・巻五 神司荒氏稲布)

訳:梅の花を手折って髪飾りにしている人々は、今日という一日を楽しんでいるに違いない。

 

 

 

 

♦桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿

出ました(個人的に)問題作。初見の時は「ちょっと明石ィ~!やめなよ~!」って感じだったんですけど、葵咲みてからそんなこと言えなくなりました。
この話はひとつ前の青江と構造が対照的になっています。青江が講談なら、明石は落語。講談は地の文を交えながら歴史や教訓を話し手が第三者として語りますが、落語は基本的に笑わせること目的としており、教訓よりもオチが重視されます。また、話し手が当事者となっているのも特徴的です。
そして落語の場合、掛け合いのひとつひとつに洒落が仕込まれています。今回の明石の話も至る所に仕掛けがあったんじゃないの?!という邪推がたくさん出てきちゃう。私が受け取れたのはそのほんの一部です。

 

話の主軸は「ミュ本丸の審神者が大事にしている梅の木」でした。梅の木は成長が早いことから、時期を見定めて枝を剪定しなければ伸び放題になってしまい、良い実がつかない植物です。
反対に桜の木は一度枝を伐ると花が咲かず、伐った箇所から木が腐り枯れてしまうこともあります。梅と桜は同じバラ科の植物でも、その育て方が違うため、特徴に合わせた世話をしなければなりません。
「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」というのは、それぞれの特性を無視した一方的なやり方を戒める諺です。
この梅の木、様々な考察で「歴史そのものを表しているんじゃないか」と話題でしたね。私も改めて見て、あーーーほんとだーーーーと色々繋がりました。
梅の木には枝が6本あって、明石達が折ってしまった枝は3本でした。まず、この6本は今まで修正してきた歴史(阿津賀志山・幕末・三百年・つはもの・むすはじ・葵咲)の数と同じです。
今剣が最初に折った枝は実際最初に明石が折ったものでしたが、これを省いて、「今剣が枝を1本折ってしまったが故にバランスが悪くなった梅の木を整えるために折った枝」が1本。これをまず今剣が関わった歴史分……つまり阿津賀志山の分とします。
次に、明石に言いくるめられて自ら枝を折ってしまった小狐丸。彼は「今剣が原因で折れた(と思わせている)2本の枝」も持たされます。このうち1本は明石の分として省きますが、前述した今剣の分と、今回自分で折った分、計2本。これを、小狐丸と、更に今剣が関わった阿津賀志山とつはものの分とします。
最後に、一番最初に明石が折ってしまった枝。これは明石が関わった歴史がまだ葵咲しかないので1本だけとします。
こう見ると小狐丸だけ枝を多く持っているように感じますが、最終的に今剣と共犯扱いになっていたので、二振りとも同じ本数を背負った……つまり阿津賀志山とつはものの2本としていいのでは?(残り1本は前述のように明石の葵咲分)というガバガバ計算式です。算数下手か?
そして、この折れた3本の枝とされる歴史すべてに三日月宗近が姿を見せている」んですよね。阿津賀志山とつはものはもちろんのこと、葵咲でも映像出演したじゃないですか。


ここ、明石達が囲んでいたのが桜の木だったら更に怖かったなあと。だって伐ったところから腐ってしまうんですよ。梅は伐った枝から更に小枝を伸ばすので、枝ぶりが良くなって立派な花や実をつけるんです。折ってしまった梅の枝の断面から新たな枝が伸びる可能性があるなら、取り返しがもうつかない訳じゃない。
きっと三日月宗近が表立って関わったこの歴史は、折れた枝(彼の暗躍によって変わった歴史)の断面から更に小枝が広がり、様々な可能性に分岐していくんじゃないでしょうか。
でも明石はこの梅の木自体を伐ることを提案したんですよ……「あったかもしれない」という可能性・分岐が多くなる歴史を消す。なぜ明石がこう考えたのかは、やはり葵咲での篭手切くんとのやり取りに詰まってるのかなと思います。

 

 

 

♦梅は伐れ、桜は伐るな

明石は葵咲で、堕ちた同胞を救おうとする篭手切くんの行動に対し、厳しい言葉を投げかけていました。
「全てを救えないなら、誰も救えてないのと同じだ」
同胞が堕ちた時間遡行軍と、刀剣男士。それらの違いを問うた時、篭手切くんは「違いはない」と答えました。違いはないのに同胞だけを助けるという篭手切くんの矛盾を明石は受けいれられなかった。
明石が何故ああも三日月宗近の所業に目くじらを立てるのか。それは人が創り上げてきた歴史の流れが、一振りの力では変わらないほど強大だからでしょう。どんなに「あり得たかもしれない分岐」を選んでも、どこかで矛盾が発生して歴史が変わり、違うところで苦しむ結果が生まれる。
そうなれば「歴史を守る」という刀剣男士たちの使命、存在意義を裏切ることになる。政府に目を付けられ、本丸が解体される恐れだってある。そのリスクを冒してまで歴史に介入した三日月宗近は、最後までその責任を取れるのか。明石の言動はそういった猜疑心の表れなのではないかなと……。
3本の枝が折れた梅の木(三日月宗近が大きく関わった3つの歴史の比喩)を見て「バランスが悪い」と言ったのは、「全てを救えていない」ことに対する皮肉にもなっているのでは?という邪推もできます。
「バランスが悪い」梅の木(歴史)を、同じ三条である今剣と小狐丸に伐らせるの、めちゃくちゃ怖いんですけど。しかもこの二振りは三日月宗近が一番動き回ったことがわかる、つはものを経ているからこそ。

 

まあ結局は「こんな梅の木はなかった」から「こんな話はなかった」という妄想オチで終わるのですが、それもそれで恐ろしい。
だって明石の語ったこの話は、いつか有り得た歴史かもしれないんですよ。歴史がなかったことにされたようなものでしょう。考えすぎなのはわかっていますが……この先、新作にこの話がどう関わっていくのかと思うと気が気じゃありません。

 

 

 

♦梅花歌と令和

さて、ところで新元号である「令和」の名が、万葉集巻五に収録されている「梅花歌三十二首并序」に由来すると言われているのをご存知でしょうか。*4

「初春の令月にして、気淑よく風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」

この中の令月と風和から文字が使われて、「令和」という元号が作られたそうです。令月とは旧暦2月、新春の頃を指します。
他にも「嘉辰令月」というように、何をするにも良い月・めでたい月とも言われます。風和は「穏やかな風」といった意味合いです。
「梅花歌三十二首」とは、奈良時代大伴旅人が開いた「梅花の宴」というイベントで詠まれた三十二首の歌を纏めたものです。ここに大伴旅人自身が付け足した序文(上記)が元号を決めるときに使われた形になります。
当時、梅は中国から渡来した珍しい植物の一つだったので、選ばれた人しか栽培・観賞することができませんでした。そんな貴重な植物を皆で囲んで宴を開き、咲き誇る梅花の美しさを歌に残したのが「梅花三十二首」。そして今回明石の話で詠まれた歌も、この「梅花三十二首」に入っているんですよね。
……歴史そのものと思われる梅の木が題材とされる話で、私たちの歴史に刻まれた新たな元号に関わる歌を詠むって、どういう思考回路で辿り着くんですかね…???昼目の歌の時も思いましたが、控えめに言ってすごくないですか??
あとあんなに三日月宗近のやり口を好いていない明石がメインの話で、間接的とはいえ「月」が関わっているのもこう、因果…!!となります。

 

 

 

♦青江と明石の対比

ここまで梅の話で持ちきりでしたが、最後は対比の話を。
冒頭で書いたように、この明石の話、つまり落語は一つ前の青江の講談と対比されています。講和と落語、菊の花と梅の花、過去と現在。様々な要素が対になっているように感じますが、これって実は歌合だけの話じゃないんですよね。
青江と明石の二振りは三百年と葵咲で既に対比されていたんだな…と今気づいた話なんですけど。


明石は葵咲で「戦争は互いの正義のぶつかり合いであり、勝った方が正義の中の正義となるが、負けた方はいつだって悪者になるもの」だと語っていました。そしてこの単純さは、心が壊れないために必要なものだと。
戦争が孕む矛盾を直視してしまえば、心が壊れてしまう。無理をしすぎてしまうから。これ、三百年で青江が物吉くんに言った言葉と根底は同じだと感じます。
でも青江の場合は心に生まれた矛盾を「刀剣男士だから」という理由だけで納得しようとした物吉くんを諫め、逆に明石はその矛盾を割り切らずに「同じ(同派という意味も込めて)付喪神だから」という理由で堕ちた同胞を救おうとした篭手切くんを批判しました。
心が壊れやすいことを知っているけど、二振りの考え方や行動には大きな違いがあります。矛盾に寄り添うか、割り切るか。明石の場合は来派の兄刀なので、お兄ちゃんが弟の無謀さを叱るみたいな感覚(現実を教える役目)もあったのかもしれません。
あと、「物語の行末を見守ろう」と劇中で口にするのもこの二振りは共通しているなと。心に何かを抱える刀に気付いて、そこに踏み込む役目も含めて。飄々としながらよく見ているんですよね。*5
実装されたばかりなのに、ほぼ一振りで数十分の舞台を回すのもらぶフェス2017の青江っぽいですよね。あの青江の話も出てきたのは三振りだったなあ…。


唯一違うのは、明石の話だけ歌がないこと。想いが言葉から歌になるこの本丸で、明石だけが歌を唄わなかったんです。つまり明石は話の中で自分の想い=本心を語っていない。
これにどういう意味があるのか……また怖い話になってきたのでこの辺で締めます。明石、底が知れないにも程がありまくる。

 

 

 

 

 

 

 

ライブパート其の二

えー、前編でも言ったんですが、初見時の記憶がほとんど前編ライブパートで消えてるのでまるで初めて見たような感想になります。
なおライブパートの感想は語彙力を溶かして書いてるので、アホなこと言ってても笑いながら聞き流してやってください。よろしくお願いします。

 

 

 

♦Brand New Sky

むすはじ組なかよしすぎ尊いんじゃ〜^^^^^^^^^出だしの長曽根さんの日替わりセリフがもーーーー絆アピールすぎてペンライト握り潰しそうになりました。
これ後方ステージから正面ステージに走る速度半端ねえなと思うんですけど皆股下が長いから3歩くらいで辿り着いてますよね????
この曲の爽やかさで全時間遡行軍が青空に浮かんで消えていく。私には見える。最終回とかでよくあるあれ。青空に散っていった仲間の面影が見えるやつ。時間遡行軍……いい奴だったよ……。
歌合で全員揃ってるチームって幕末とむすはじだけだったのもあって、このメンバーの安定感と信頼感といったらなかったですね…。めっちゃ楽しそうだしサビの「大切な仲間が出来た」のとこで肩組み合うのも眩しすぎて砂になりました。
は〜〜兼さん♡♡地球跨いで♡♡♡って団扇作って掲げたい。地球も喜ぶ。絶対喜ぶ。
あと間奏の巴なんなんですかあれは???!?!?!セーラーマーキュリーじゃん!!!!!!!!!巴はセーラー戦士だった…????
安定のアクロバットと巴のセーラーマーキュリーが合わさる画面の強さといったらない。すっごい楽しそうなむっちゃんで無事にTHE END.....

 

 

 

♦Nameless Fighter

イントロと同時に会場が赤と紺に染まった瞬間鳥肌立ちました。もうほんと、この曲を、大倶利伽羅と青江でやってくれたの感謝しかないんですよ…初見の記憶はまるでないので三百年を摂取した後の感想になるんですけど…。
三百年初演とらぶフェス2017で財木さんの大倶利伽羅が披露したこの曲を、再演で2代目大倶利伽羅を演じた牧島くんがやること。これってめちゃくちゃ緊張するし重荷にもなるし、大きな挑戦でもあったと思います。
それでも堂々と、大倶利伽羅として青江と背中を預けあって歌い切った牧島くん…まじですごかった…気合の入りようが伝わってきた…。
この曲、三百年の大倶利伽羅にとって大切な曲だと思っていて。誰かを守りたい、とか、守れなかった痛みを知ったからこそ得られる強さとか、そういう想いが沢山詰まっているので、再演を経た大倶利伽羅が歌ってくれたのが嬉しすぎて赤と紺のペンライトあほみたいに握り締めて感動していました。
青江も青江で、最初の頃とはまた違う余裕みたいなのがあって、しっかり大倶利伽羅を支えて時にはリードしていて、あ、荒木さんの懐の深さーーーー!!!!!ってなりました……。
あと後ろ髪触るタイミングis完璧。あんな素敵な笑顔で「君だけのヒーロー」なんて言われたら泣くしかない。名もなきファイターかっこよすぎる……。
三百年の曲のなかでもすっごい好きな曲なので、リアルタイムで聴けたのも嬉しかったです。この曲を歌合でやろうと決めた方々と歌ってくれた二振り……圧倒的感謝……ッッッ…!!!ボロボロの羽を目一杯広げてくれてありがとう……。
 

 

 

♦約束の空

大好きです。メロディも歌詞もメンバーも。
これは個人的なエモポイントなんですけど、構成メンバーがあまりにも完璧だったんですね。葵咲で実装された鶴丸、明石、御手杵、篭手切くんに加えて、村正と蜻蛉切の代わりに堀川くんと物吉くんが入っていて。
堀川くんは村正派の歌唱力担当。これはよくわかる。なんていったって堀川くんなので。
物吉くんです。物吉くんがいるのがめっちゃくちゃエモかった。村正と蜻蛉切との繋がりを感じて三百年推しの審神者は静かに泣きました。


三百年で村正派と共に家康に仕えた物吉くん。彼はあの話の要でした。徳川家康の一生を知っていたから、彼を中心に子育てができた。
劇中でも、本多忠勝になりきれない蜻蛉切を激励したり、家康と信康に笑顔を教えたり、その最期を看取ったりと大活躍でした。
葵咲でも姿こそ見えないものの、大きな役割を担っていたと感じます。村正は最初、家康が物吉くん扮する鳥居元忠が死ぬことになる伏見城に残したことを怒っていました。正しい歴史の流れとはいえ、仲間を見殺しにするような真似が許せなかったから。
でもその死の報せを耳にした家康は涙を流しながら笑うんですよ。「すまんのう、元忠。すまんのう」と謝りながら、最後まで元忠…つまり物吉くんが教えた「どんな時も笑顔ですよ!」という言葉を守って。「うまく笑えているかのう」と問いかけながら。
それを眺めていた村正は切ないような、驚いたような表情で目を伏せていました。家康は元忠を見捨てたのではなかったと気づいたからです。


三百年でも、葵咲でも、最期まで笑っていた家康の心を支えたのは、「不幸のどん底のような人生でも幸運を信じた家康の想いを受け止め続けた物吉貞宗」が扮した元忠の言葉だった。これがなければ葵咲本紀という題名は成り立ちませんでした。それくらい物吉くんの存在は大きかったんです。
そんな物吉くんが村正と蜻蛉切のポジションを担うようにこの歌を唄ってる様が嬉しくて仕方ありませんでした。
ていうかこの、Nameless Fighterからの約束の空の流れもずるくないですか!!!!!三百年からの葵咲っていうのがビシバシ伝わってくる……ハァッハァッ……。


それから間奏のダンスパートもエモかったんですけどあの!!!葵咲で蜻蛉切が立ってたポジションに御手杵が立っていて!!!!あーーーっお客様困りますお客様槍槍槍槍---ッッッ!!!
御手杵が来たことによって槍同士が対角線上に置かれるポジションとかが多くてすごい滾ります。体格のいい槍を!!左右に置いてくださり!!誠にありがとうございます!!!!
村正派も槍も好きなのでこう……おいしいところがいっぱいあってありがてえ限りなんですよね……葵咲での槍の連携技とか……こういうポジショニングとか……。
あと単純に御手杵のスタイルが良すぎて真ん中に立つとしなやかな美しさが最大限に発揮されてしまうんですね。脚が長すぎるからまた世界一周しちまったぜ。蜻蛉切のずっしりとした存在感とはまた違った魅力が開花している。
これが独自解釈で感動&興奮する審神者の図です御覧ください。あとはやく約束の空の音源が欲しいです。葵咲のCD心待ちにしています。

 

 

 

前進か死か 〜スットコドッコイ物部珍道中〜

副題は勝手につけました。
いっぱい鯛を持ってきてくれる時間遡行軍さんvs物部2人の切実な攻防戦……手に汗を握りましたね……。
貞愛が面白すぎてずっと笑ってました。信康に対してあんなに弟として振舞ってるのに、父上に対する塩対応面白すぎてだめだった。この竹を割ったような貞愛の性格、愛おしくて仕方ないです。
前進か死か」も好きです。「嗅ぎ分けろ」の振り付けめちゃくちゃかっこよくないですか……あと最後に貞愛が後ろ髪をサラっとするのも良かった……色気……。
ラスサビの「だがいいか 忘れるな」のところ父上が歌う演出も良かったです。説得力すごい。この歌の歌詞も曲もいい感じに泥臭くて好きなんですよーーーわかりますかね、この…eastern youthとかTheピーズっぽさ…!!!!唐突に捻じ込む邦楽ロック!!!
あと葵咲はアーカイブで見た勢なので貞愛と秀康がしっかり双子の姿を見られたのも嬉しかったです(加古さんの秀康も狂気振り切ってて好きでした)おかえりなさい…!!!!
しかし「三日月殿から聞いた話じゃ!父上は鯛の天ぷらにあたってお亡くなりになったと…!」ってさらっと信康が言ってるけど三日月宗近はどこまで歴史を教えてるんですかねえ??!!!
これから先も物部は増えていくんでしょうか。エノミュならぬ物部ミュもあっていいと思います。信康の吹き矢が炸裂するやつ。通りすがりの裸のおじさん直伝なんでしょうね…。

 

あとこの徳川家のターンの前に大俱利伽羅の畑仕事シーン(と言っていいかどうかはわからない)があるのもいいですよね。朝早く起きて肥料を土に混ぜていたんだってね……よく見てるよむっちゃん……気づいてくれてありがとう……。
土がよくなり、作物が大きく育てばみんながお腹いっぱいになる。「腹が減って戦をする人たちが居なくなれば天下は泰平になる」と信じた信康(吾平ドン)の理想に近いのがもう……。
きっと大俱利伽羅の手にも農作業の跡がついている。それを見たら吾平はどんな顔をするでしょう。きっとすごく嬉しいんじゃないかな。
信康ーーー!!!!吾平ーーーー!!!!!!いつかみてくれこの畑をーーー!!!!!!
ハイヒールで畑仕事する巴も好きだよ。かわいいね。

 

 

 

 

 

 

幕間

ここまで全速力で駆けてきたんですけど文字数えぐいことになってますね。ひとつ掘り下げると他にも繋がりが見えてどんどん穴を広げてしまう癖があるのがよくわかります。まとめる能力が低い!!!!
最初に言ったように自分が楽しいからやっているんですけども!!!

 

そして長々と書いているうちに新作の詳細が発表されてしまいましたね……パライソ……島原の乱ではないかという話を聞いていまから怯えています。だって絶対つらいやつじゃん……。
静かの海で月に手が届くのでしょうか。鶴丸、はやく三日月宗近と出会ってくれ……と祈らずにはいられない。
あと歴史上キャストにハイパー殺陣上手すごすぎ役者の中村誠治郎さんがでると聞いて、舞BASAから2.5に入った私は無事に討ち死にしました。おいおいおいおいまじか。あの石田三成だったせいじろさんが刀ミュくんに出るのか???!!!!
どうせならめちゃくちゃ殺陣多い演出を期待します。本当にすごいんですよ。BASARAのトンデモ技を表現できてしまう上に納刀アクションがゲームに逆輸入された人です。よろしくお願いします。
中村誠治郎vs刀剣男士とかになったら刀剣男士の方がやばそうなのでお守り必須にしてください。それか極になってから対決してください。

 
今回も好き勝手な考察と感想にお付き合い頂き、ありがとうございました。
では後編でお逢いしましょう。

 

後編はこちら

mugs.hateblo.jp

 

 

*1:1月1日だけは元日なので例外として1月7日になっています。

*2:輪廻転生は、六道と呼ばれる六つの世界の中のどれか一つに生まれ、死んだらまたそのうちのどれかに生れ落ちて……と回り続ける車輪のように生死を繰り返すことです。

*3:生き様は花だけど、家族に関わることは雁が多いなあとも思います。三百年の竹千代とか、双騎の一万と筥王とか。偶然だろうけど……。

*4:国文学研究資料館(最終閲覧日:2020年2月9日)― https://www.nijl.ac.jp/koten/kokubun1000/1000aida.html

*5:そういう話だとつはものの兄者もそうなんですけど…あれは見ているというよりもう直感に近いなって…。